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2017年10月22日日曜日

神戸中央区 福徳寺

俄かにお寺づいてしまうが、今回も神社取材ついでのお寺参拝の記事である。中央区の厳島神社取材の際、開いていれば参拝しようと思っていたお寺ではあります。福徳寺花隈公園の西北側にある。

以前花隈公園の記事を書いたときに花隈城の戦い」の記事をWikipediaから引用した。
花隈公園

荒木村重石山本願寺に通じていると疑いをかけられたことが原因で実際に謀反を起こし、伊丹の有岡城に篭り、それを明智光秀、滝川一益といった武将が攻撃する。

村重尼崎城へ移り、有岡城に残った村重一族は惨殺されてしまう。

追い詰められた村重はさらに花隈城へ逃げ、それを池田恒興が攻撃する。


生田陣所などに恒興の一族らを配置し花隈城を包囲する。この「花隈城の戦い」で落城する。そして村重毛利氏に亡命する。

といったストーリーでした。

その荒木村重の最後の砦となった花熊城天守閣跡とされる地がこの福徳寺なのである。

山門


この場所が花隈城天守閣があった場所とされている。

門前の石碑  花隈城天主閣之阯 とある。




山門は閉まっていたが通用口は開かれていたので、そこから参拝させて頂いた。

本堂



由緒板と思いきや お墓参り十か条 が書かれたものでした。




福徳寺会館



花隈城を模して天守閣をもつお城のような会館となっている、


境内にある地蔵堂  前掛けをかけて貰った大小さまざまなお地蔵様が祀られている。


終の住処  モダンな集合墓ですね。 

慈母観音像 


観音様の周りには沢山の墓石が並んでおりました。 これでおしまい。

2017年10月21日土曜日

堺市 光明院

今回は百舌鳥八幡宮のお隣りにあるお寺光明院の紹介である。取材する予定はなかったが、八幡宮の境内に接していて山門が開いていたので入ってみた。多くの寺院は防犯のため閉鎖されている中で、門戸を開放してあり自由にお参りできる当院は立派な心掛けであります。このような寺院が増えてくると嬉しいのですが時代は全く逆方向に向かってますね。

実を申せばこの寺院は全く知らなかったので、Wikipediaで調べて見ると

仏頂山金輪寺光明院 – 大阪府堺市東百舌鳥赤畑町にある高野山真言宗の寺院。

との1行の記事だけであった。寺院のホームページも見当たらない。それで基礎情報をあちこちのブログから収集することにしたが数少ないし情報は少ない。それで掲示板に書かれている記事のみの寺院紹介とした。

それによると小さいながらも相応の由緒のあるお寺でした。

 山門前  頭守地蔵尊(とうもりじぞうそん) の石碑

山門  

由緒板  堺市による公式掲示板で、英語、中国語、韓国語版も記載されている。


次のように説明されている。面倒だったけど拡大画像を見ながら書き写しました。

      光 明 院

当寺は仏頂山金輪寺光明院と称し、高野山真言宗金剛峰寺に属します。
本尊は金輪仏頂釈迦如来(写真の仏像)で秘仏になっています。

天平元年(729)に光明皇后の発願により創建されました。
中世には、当寺の僧が先達になって熊野本宮に詣でた記録もあります。
その後江戸時代前期の寛文九年(1669)に寿宝比丘尼智海が当寺を再興しました。
当寺は江戸時代中期に、大鳥神社神宮寺である神鳳寺の役寺となりますが、慶応4年(1868)の神仏分離令により、神鳳寺が廃寺となったため釈迦三尊像十一面観音立像をはじめ仏像や仏画の多くが当寺に写され現在に至っています。
寺内にある地蔵堂には頭守り地蔵が祀られ、頭痛、中風除けとして参拝されています。
                                     堺市

山門前 石碑 大界外相 とある。


大界内相(だいかいないそう)という言葉と対になっている。この石碑大界外相(だいかいげそう)の大界は、僧侶となる儀式を行う聖なる場所、つまり戒壇院のことで、その内側外側という境界を示す標石だそうです。
                
大界内相の石碑は境内にも見当たらず。


山門前 石碑  酒を飲んで山門に入ってはいけない!  当然です。


本堂につづく石畳の参道


本堂


常夜燈

頭痛よけ地蔵尊石碑  若い頃は頭痛持ちだったが60代になって無くなってしまった。かわりに中風を心配しなければならぬ年齢になった。それで中風除け祈願のお賽銭をあげました。

地蔵堂

本堂裏手にある絵馬堂


境内にある 水掛不動明王



同じく 百舌鳥千力行者尊  石段の奥に祀られている。
 千力行者尊


不動明王行者像を見ることが出来たのは収穫でした。これでおしまい。

神戸中央区 厳島神社

今回は神戸の神社シリーズで中央区にある厳島神社である。三宮へ出ればすぐに行ける神社なのにまだ取材はしていなかった。そのうちに行こうと思っていたが週一の神社取材が北区ばかりになってしまいすっかり忘れてしまったのである。よくある事だ。

厳島神社は神戸市内に10社ある。西区と北区以外には3社あり、この厳島神社がその3番目になる。
神戸灘区 篠原厳嶋神社 神戸兵庫区 厳島神社

神社は花隈公園の北側にある。高速神戸線の花隈駅で下車してビルの谷間を道路沿いに進み周り込んだような道路を歩いてゆく。


するとそこだけ風景が変ったような感じで木々の間に朱の鳥居がみえる。


これがお目当ての厳島神社である。細長く狭い境内をもつ。この神社は明治以降二度移転して現在の地に鎮座されている。追いやられてこの地にやってきたわけです。

社碑



小神社であるが幸いWikipediaの記載があるので基礎データとして引用する。

厳島神社 (神戸市中央区)


厳島神社
Hanakuma-Itsukushima-jinja.jpg
所在地兵庫県神戸市中央区花隈町6-5
北緯34度41分19.5秒
東経135度10分55.3秒
主祭神市杵島比売・大物主命
札所等清盛七辨天 花隈弁天
例祭6月17日


厳島神社(いつくしまじんじゃ)

兵庫県神戸市中央区花隈町に鎮座する神社。

祭神:

市杵島比売

弁財天のほうの画像です。



大物主命

今回は木彫り人形です。


由緒:

平清盛が福原京造営時に勧請した厳島神社七社の一社。
元宇治川尻左岸(弁天町)にあったが、明治初期神戸港建設の際、現在の堺町通6丁目に移転。
昭和21年(1946年)頃、神戸中央郵便局建設の為、現在地に遷座する。
宇治川と国道2号線の交わるあたりが弁天町となっているのは、当社があった為である。

いつも基礎情報の記述でお世話になる 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~ では次のように詳しく説明されている。

1180(治承4)年に福原京を築いた平清盛公は、都を造営する際に平家一門の氏神として深い信仰を寄せていた安芸国の厳島神社から、宮島の七浦にちなんで7つの社を神戸に勧請してきました。勧請されたのは宗像三女神の中でもとりわけ美人との誉れ高い市杵島姫命で、市杵島姫命は神仏習合の観点からから、仏教における弁財天と同神だとされていました。和田神社真光寺能福寺来迎寺済鱗寺恵林寺兵庫厳島神社氷室神社と、ここ花隈厳島神社の7社がその時に平清盛公によって建立された寺社だと伝えられています。


当神社はその清盛七弁天の1つで 健康弁天 が祀り神である。

それでは境内の参拝である。

朱鳥居  厳島神社ではあるが例の三本足鳥居ではない。ちと残念である。

本家の大鳥居


由緒板

手水鉢

社殿への参道  アスファルト風の参道で風情には欠ける。

境内社の 地清女社



同じく 出雲神社 





同じく 住広稲荷社




拝殿  お賽銭箱はないが盗難を避けるため取り除かれている。罰当たりめがいるからね。


拝殿



石灯籠  玉垣ならぬ竹垣で囲われている。


本殿

境内  参道横の路地は駐車場として使われている。

 

厳島神社の参拝はこれでおしまい。

おまけで花隈公園裏にある地蔵尊の紹介をする。 花隈公園

長狭北向地蔵尊 



小さな石の社だけなのだが玉垣で囲まれ、赤い前掛けを付けた石塔が並ぶ。


内のお地蔵様

これでおしまい。