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2018年2月20日火曜日

神戸東灘区 八坂神社

今回も阪神沿線の神社巡りである。前回の深江・大日霊女神社を取材しおえてから深江駅にもどり三宮方面のつぎの駅である青木駅で下車する。目指すは八坂神社である。

地図では駅から南東に300mほどの距離にある。すぐ分かりそうなものだが周辺の住宅に視界が阻まれていてなかなかたどり着けない。通りを行き過ぎてしまっていたのだが、道行く人も見当たらないので、公園で遊んでいた小学生にこの近くに神社はないかと尋ねてみた。知らないという答えだったが、友達が走って近づいてきて彼に知ってると聞くと二つ知っていると答えてくれた。それでその二人ともう一人の友達がついてきて案内してくれるという。有難い事なので彼らに案内をお願いした。爺さんと小学生3人の道行きである。

通りを戻りさらに南側に国道43号線まで下ったところに地蔵堂がありこれかと訊ねられたので違うというと角を曲がってつぎの神社に連れて行ってくれた。その神社こそがお目当ての八坂神社であった。

ここです。



ただ一行で、小学生が神社に連れて行ってくれた。と書くところを無駄に詳しく書いてしまった。この記事に登場をお願いする可愛い小学生であったのでつい詳しく書いた。

この本庄地域には、現在東から深江・大日霊女神社青木・八坂神社西青木・春日神社の三社があるが、以前は春日神社本庄でなく山路庄に属するものであった。それで他の二社と異なり総氏神本住吉神社になる。当青木八坂神社大日霊女神社と同じく総氏神保久良神社である。今回で本庄地区の三社はすべて参拝済になる。 神戸東灘区 保久良神社

ここで青木(おうぎ)の名前の由来を神戸の空の下から引用しておく。

本庄総氏神保久良神社のご神体といわれる椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が青いウミガメの背中に乗ってこの地から上陸したため、このあたりは「青亀(あうぎ)」と名付けられ、それが後に訛って「青木(おおぎ)」と変化したという伝承が残っています。実際、昔は八坂神社が鎮座している国道43号線の辺りまで海岸線が入ってきており、昭和の中頃まではウミガメが上陸していた記録が残っています。この「ウミガメ」が、神武東征時青いカメに乗って水先案内を務めたという神・椎根津彦本庄地域を結びつけるキーワードになったとも考えられます。

青亀(おうぎ)にうち跨った椎根津彦命


脱線したが神社紹介を始める。

朱鳥居 


鳥居横にある常夜燈手水鉢  道標らしき石塔が二本立っている。



ここで兵庫県神社庁等の記事を参考にして当神社の基礎情報を記述する。

ご祭神:

素盞鳴尊  (すさのおのみこと)



配祀神 

豊受姫命 (とようけひめのみこと)
 


大山咋命 (おおやまくいのみこと)  前回と同じ画像です。




由緒:

天保年間、この地は青木村米屋利兵衛の所有地であったが、村中で買収し方一間春日造り社殿を建て、天保11年(1840)正月13日神祇管領卜部良長より神明宮素盞嗚命松尾大明神を勧請したと伝わる。

正2年(1913)10月11日、八坂講を組織し神明造りの社殿や社務所を造営し、末社として天満天神大物主命を祀った。

見栄えはしないのですが180年もの歴史をもつ神社です。阪神淡路大震災での倒壊は免れたようです。

本殿   ここには素盞鳴命神明宮天照大御神)が祀られている。


お賽銭箱は外に置いていない。格子戸の所に穴が開いていてそこからお賽銭を入れるようになっている。いつものように10円を入れ鈴を鳴らし2礼2拍1礼を行い家内安全を祈った。小学生にも10円を渡してお祈りして貰った。

拝殿の鈴



本堂側面 拝殿本殿が一緒になった神明造りである。



拝殿前 狛犬二基  ギョロメの獅子


東末社社殿  大物主命恵比須神を祀る。ご祭神の一柱である恵比須神は浜手にあった戎神社を合祀したもの。お賽銭はガラス格子扉中央の穴からひっそりと入れる。


本殿裏手  神社に案内してくれた親切な小学生。 有り難う ハ~イ ピース。 もう一人はどこかへ走って行っちゃった。


西末社社殿

住吉大神
八幡大神保食神事代主命天満宮菅原道真公)・武内宿禰猿田彦命金毘羅神を祀っている。連合社殿で神々が一緒くたに祀られている。こちらもお賽銭箱社殿内にある。



西末社前 常夜燈


西末社から眺めた境内

本庄村道路元標  旧本庄村名を残す大正時代の遺跡のひとつ。


これです。

脇参道から本殿を望む。

これでおしまい。

2018年2月19日月曜日

神戸東灘区 大日霊女神社

横屋八幡神社の参拝をおえてから阪神魚崎駅に向かった。この駅で阪神電車に乗って深江駅で下車し、大日霊女神社(おおひるめじんじゃ)を参拝するのが次の目的であった。
この神社は退職後も参拝したことがあるのだが、その時はブログ記事を書いていなかったので殆ど記憶には残っていない。相も変らぬ健忘症である。それで初めての参拝と変わりはなかったが境内奥に多くの石碑境内末社があったのをかすかに覚えていた。当時は神社の中に別の神社の社が沢山あって面白いなと思っていた。現在では百社以上の神社を参拝して脇社境内末社などの無い神社のほうが稀であると知っている。少しは学習効果がでてきたようである。

神社深江駅をおりて南東すぐのところにある。モダンな神社らしからぬ社殿があるのですぐにわかる。平成12年(2000年)に新築再建されたものである。地元民からは大日っつぁんと親しみを込めて呼ばれている。

道路に沿って立つ神明鳥居  神明鳥居は数少ないがこれは中が空洞の鋼鉄製だと思われる。


社碑   黒御影石の立派な社碑です。

由緒舎

この由緒記を基にして神社の基礎情報を与える。

ご祭神:

大日霊女尊  (おおひるめのみこと)

以前も書いたけど天照大神(あまてらすおおかみ)のことです。今回はゲームキャラのこの画像。

アマテラス





宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)

稲荷神社の神様ですね。今回はアニメキャラの画像です。


えびす大神  (えびすのおおかみ)

何回も登場して頂いているが今回はこの悪人面のイラスト。


由緒:

創建年代は不明だが、鎮座地の深江北町四丁目から本庄町三丁目にかけて「薬王寺」という地名が残っていた。これは中世建立された真言宗薬王寺」に因むものとされていた。薬王寺大日如来本尊としていたが、文明13年(1481)に浄土真宗に改宗して、寺号を「延寿寺」に改名し、本尊阿弥陀如来に変えました。寺を出された旧本尊大日如来を村人が引取り、現在地に祀ったのがこの神社の始まりと伝えられている。

大日如来本尊とする神仏習合鎮守社として信仰されたが、明治維新の神仏分離令により、明治6年神社となった。

明治41年(1908年)には神明造の瓦葺流造本殿瓦葺入母屋造拝殿などが建てられた。しかし、昭和20年(1945年)8月の米軍による無差別大空襲によって社務所やだんじり庫、樹齢集百年の松が焼かれるなど大きなダメージを受けた。幸い本殿拝殿は何とか戦災を免れた。その社殿も平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で全壊する。
そして平成12年(2000年)に無事新しい社殿が再建された。


神社広報



それでは境内の参拝を始める。

手水鉢  節水のため蛇口をひねって適宜ご神水で手をお清めください。


渡し鳥居  石畳の参道両側は車と自転車で一杯。


境内


社殿側から見た境内

常夜燈


拝殿   新築なった立派な青銅葺拝殿です。漆喰塀のように見えますが全てRC製の社殿です。

拝殿前 常夜燈 同様のものが対面にもある。


拝殿前 狛犬二基  共に平成12年生まれで御年18歳のティーンエイジャーです。



社殿側面



本殿屋根部分 広報にも記されていたが千木(ちぎ)が内そぎ(地面と平行)なので女神を祀っている。ご祭神大日霊女尊なので当然と言う事です。


脇社稲荷神社 朱鳥居

百度石 

蓋の被せられた手水鉢

稲荷神社由緒板

つぎの二稲荷大神ご祭神として祀っている。

正一位 白玉稲荷大明神

正一位 末光稲荷大明神

両社殿とも当神社に遷移されたが社殿老朽化のため平成2年11月に改築された。より詳しくは由緒板を読まれたい。


白玉稲荷社 社殿

末光稲荷社 社殿

社殿前 狛狐二基 巻物と玉を咥えた二匹です。



社殿前 常夜燈 

本殿の左側が小さな庭になっていて深江史の庭と呼ばれる。この地域にあった記念碑や石碑を一同に集めた場所になっている。



庭の左端に末社社殿が二つ並んでいる。


右側の社殿には深江山の神を祀る。ご祭神大山祇大神(おおやまつみおおかみ)である。

山の神社殿

左側の社殿には深江塞の神を祀る。掲示板にある三柱の神(漢字で書けない文字があるのでご容赦)がご祭神である。



塞の神社殿


皇太子殿下御降誕奉祝記念碑 

御社殿新築再建記念碑

深江の童謡碑
 高橋の礎石

明治38年日露戦争凱旋の記念植樹碑

 雪見灯篭

魚屋道(ととやみち)の石碑


ここ灘の深江六甲山を縦走し有馬の温泉街に至る間道「とと屋道」の起点に当る。

とと」はのことであり、「とと屋道」とはその名の通り、早朝灘の早朝灘の漁港に水揚げされた魚を仕入れたとと(魚)が、有馬の温泉旅館に鮮魚を卸すため、魚を担いで六甲山を越える近道として栄えた。
その行程については看板を参照されたい。


これでおしまい。