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2014年7月1日火曜日

Web.2.0 異聞


私がブログを始めたのは、鬱状態の改善のためである。
以前どこかで書いたが(調べるのは面倒なので略)、退職後 研究者としての Identity の喪失
に苦しみ、研究も出来んような人間は生きていても無意味という考えに陥り、生きること自体が
苦しくなってしまったが故である。 つまらない独りよがりの考えであるが、当人にとっては紛れも
ない真実なのである。 

実際にブログ記事を書いてみて、鬱状態の軽減は確かにあるのだ。 ゆるキャラとか Super Sento、絵画、旅行記とか諸々の出来事をインターネットで調べて、取りまとめて記事にするのは
結構面白くて夢中になり、知らずに時間潰しができてしまうのだ。遊びだからね。
目の具合がそれほど良くないので、長時間パソコンの前に張り付いている訳ではないというのも
精神的には良いほうに作用している。

今や、鬱状態の改善という当初の目的から逸脱し、遊びでブログ記事を書くのが日課になってしまったのだ。 もう5ヶ月も続いている。 日記なんか、書いたことのない私がである。

それで、遊びならばと、ブログを書く事により不特定少数者(及び身内)に対して、研究者としてはペケでも、読んで面白い記事を書く老人としての新たなキャラクターの創出を目論んだのである。 
つまり、面白記事を書く退職老人キャラとして、新たに自己を規定したかったのである。 

それが詰まる所、記事を書き続けてみて ただの ジジイ blogger  に成り果てたとは、情けない限りではある。

実の魂胆は、孫(2歳である)に将来おもろいジイチャンであったと思われたかったのである。 
下らぬ見栄である。

しかしながら、ブログを書きつつ実際はブログについて何も知らないというのが実情である。
これでは時代遅れになってしまうということで、古本屋にて、にわか勉強であるが Web.2.0 
の図書6冊を購入して読破した。 少しは、グーグル、Wikipedia、ブログ等について勉強を
したのだ。 

と言いながら、全て古い100円本なのでデータとしては、2007年が最新なので、
今や情報全てが充分に古い訳ではある。 が、私にとってはそれで構わないのである。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)


梅田望夫のこの本には感心しました。 Web時代の流れを解説しています。
知らなかったという、予想外の話ばかりでした。 パソコン世代とWeb世代の違いをまざまざ感じる。

対談本も面白かった。 極端な話が現実化する。 それがWeb化により可能になる。
大学院クラスの学問をインターネットの情報検索により探し出し、それを個人(高校生)が勉強してマスターしてしまうなんぞ俄かに信じがたいが、事実らしい。 

ウェブ人間論 (新潮新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)


こんな本も読みました。 実にまともな本で、Web炎上のことが中心でなく、
サイバーカスケードとか、Web社会についての適切と思われる考察を含んでいる。 




あと、こんな本も読みました。 断片的知識が多く、タイトルほどわかった気にはなれぬ。



野口 悠紀雄   クラウド「超」仕事法 も読みました。 著者は、スマートフォンをパソコン並みに駆使して、情報収集能力および編集能力を高め、そして沢山の本を書いて、勿論私も何冊か読みましたが、リアルとサイバー社会の両方で勝ち抜いているが、私は見習いたいとは思わない。 こんな情報に振り回されるというか、情報を駆使する生活はしたくもない。
著者の文章は短くて、的確かつ要領を得ている。 でも自慢、薀蓄話が多くて好きになれない。






という訳で、にわか勉強をしたのであった。


Web.2.0の技術革新により、こんな記事を書いても、見ず知らずの方が(多くはないが)読んで下さる訳なのだ。 そのような、サイバー空間上のインフラが既に整備されていたのだ。
正直、凄いものだと思う。 今や、私は英和辞書とか辞典は使わないものね。 グーグル検索で、
Wikipedia とかexcite翻訳 とかを使って調べて済ませているもんね。 進歩か退化かわからんが・・・。 

 

この間調べたのであるが、日本での blogger の人口は2千万人を超えるそうだ。

Wikipedia による情報なので信頼はおけないが、実際人間でない ゆるキャラブログ 
沢山存在しているのを知っている、少なく見積もって日本の人口の1割以上が blogger と見てよさそうだ。 ビックリ仰天である。 そんなに多いのか!

twitter と両方している方が多いので正確とは言えぬが、今やサイバー空間上では、
リアル世界の5割以上の人間がサイバー生活に関与(タッチ)しているのである。 
これは、スマートフォンの使用により、さらに割合は上がり、そのうち都市生活者の殆ど全てが、
インターネットに接続された、Web.2.0 世界を生きるということになるそうだ。 
例の検索能力の向上と位置情報のデータ検索により、個人のプライバシーなんぞ有って無きがごとくになっている。

スマートフォンを使うということは、その本人の位置情報、つまりどこで何をしているかがグーグルの検索システムに記録されることになるのだ。 仕事をサボって映画なんぞを見ていると、会社にしられずとも、グーグルには映画館の名前、場所とそこにいた時間まで記録されているのだ。
そのような、個人的なデータを処理できるだけのデータベースが構築されているのである。

それは、グーグルだけではない。 アマゾンだってそうだ。 アマゾンで本探しをやっていると、過去の購入した本や関連する図書などと、色んな本が推選図書として現れる。 おせっかいにも程がある。 俺は本探しくらい自分でする、機械(検索ソフト)の意見など聞きたくもないと思っても、無駄なのだ。 

位置情報の検索でいえば、そんなことは余計なお世話だと思っても、これまた無駄。 抵抗できない。 それどころか、ぼけたお年寄りにスマートフォンさえ持たせておけば、安全確認のためすぐに居所が確かめられるなんてことを宣伝している。 こんなのは、情報利用の危険性(個人情報の無断開示)を糊塗するための甘言にすぎぬ。全国民の行動や嗜好をビッグデータ として、取り込むなんて人権侵害である。 

 
 
ぼけ老人には、道を間違えてうろうろするという自由さえ許されないのか・・・。

と未来のぼけ老人(私です)は憤慨するのである。 嬉しくない未来像である。 
それで、スマートフォンは買わないのである。 

これで、今回はおしまい。 ごきげんよう。


 




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