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2014年8月6日水曜日

人形作家 四谷シモン

横尾忠則現代美術館の紹介記事を書いたときに、四谷シモンの名前を出した。 著名な人形作家であるが、40年前、私は彼のことを俳優かつ歌手と思っていたのだ。 横尾忠則現代美術館

その後、暫くしてから人形作家としての活躍を始め、彼の人形作品は良く知られるようになる。 私もポスターや写真集などで、インパクトのある彼の人形を沢山見たものである。そのころ一番印象に残っているのは、 金子國義 の絵画にインスピレーションを受けて制作した少女の人形である。


それから、時々は雑誌やグラフ誌で彼の作った人形を見る機会があった。 比較的熱心に記事は読んでいたが、現役時代には関連書籍を買って読む時間などない。 それで、詳しくは彼のことを調べたりせず、知らぬままに放っておいた。  

彼の業績や彼自身の経歴を詳しく知っている訳ではない。 それに、最近の作品は見ていない。 実に興味がある。 それで、今や名実ともに退職暇老人である私は、この機会に調べてみようと思いたった。 今や、Google検索 や Wikipedia により、概略の調査が瞬時にできるようになっている。有難いことである。

その調査報告をする。

まづ Wikipedia より人物紹介。    四谷シモン 

四谷シモン



四谷シモン(よつや シモン、本名:小林兼光、1944年7月12日 - )

日本の人形作家、俳優。人形学校「エコール・ド・シモン」主催。

経歴は、つぎのようになっている。 少し長いが、端折って引用する。
 
・少年の頃より人形制作を好み、川崎プッペに私淑する。中学卒業後、人形制作を続ける。林俊郎、坂内俊美に師事する。
 
・17歳の時、一時ぬいぐるみ人形作家水上雄次の内弟子になる。新宿のジャズ喫茶に出入りして、金子國義、コシノジュンコらと出会う。歌手のニーナ・シモンが好きだったことから「シモン」の渾名が付く。ロカビリー歌手としても活動する。
 
・昭和40年(1965年)、雑誌『新婦人』に掲載されていた、澁澤龍彦の紹介によるハンス・ベルメール球体関節人形を見て衝撃を受け、それまでの人形制作方法を捨てる。金子國義を通じて、澁澤龍彦、唐十郎と知り合う。
 

ハンス・ベルメールHans Bellmer, 1902年3月13日 - 1975年2月23日)
ドイツ出身の画家、グラフィックデザイナー、写真家、人形作家。ドイツ帝国のカトヴィッツ(現在のポーランド領カトヴィツェ)出身。
ナチ党の政権掌握後の1930年代中頃に、等身大の創作人形を制作・発表したことで知られる。
 
その人形作品。
 
 

エロチックというか、グロイので、孫には見てもらいたくない画像である。

 
金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - )
埼玉県蕨市出身の画家。

・1966年、『O嬢の物語』の翻訳を行っていた澁澤龍彦の依頼で同作の挿絵を手がける。翌1967年、澁澤の紹介により銀座の青木画廊で個展「花咲く乙女たち」を開き画壇デビューする。世紀末的・デカダンスな雰囲気を漂わせる妖艶な女性の絵を得意とする。活動・表現領域は幅広いが、一般には、「富士見ロマン文庫」(富士見書房)、『ユリイカ』をはじめとする多くの書籍・雑誌の装幀画・挿絵を手がけたことで知られる。

その1作品。

 
 
経歴紹介が、逸れてしまった。元にもどす。

・昭和42年(1967年)5月、唐十郎の状況劇場の芝居「ジョン・シルバー新宿恋しや夜鳴篇」に女形として出演する。
 
・昭和43年(1968年)3月から6月にかけて、状況劇場の紅テントの芝居「由井正雪」に「的場のお銀」役で出演する。このときから「四谷シモン」の芸名を使う。昭和46年まで状況劇場の役者として活動する。
 
こういう役者としての活動があったので、当時は彼が俳優と思っていたのだね。
 
・昭和45年(1970年)、大阪万国博覧会の「せんい館」のために「ルネ・マグリットの男」を制作する。
 
 
・昭和47年(1972年)2月、「10人の写真家による被写体四谷シモン展」が開かれ、階上の中央にはガラスケースに入った人形「ドイツの少年」が飾られる。
 
 
・昭和48年(1973年)10月、銀座の青木画廊で第1回個展を開催。タイトル「未来と過去のイヴ」は澁澤龍彦による。
 
 
 
 
 
・昭和53年(1978年)、人形学校「エコール・ド・シモン」開校。
「少女の人形」「少年の人形」「機械仕掛けの少年」「解剖学の少年」などの作品を発表。
 





・昭和59年ふたたび状況劇場の芝居に出演。昭和60年にはNHK大河ドラマ「春の波濤」にレギュラー出演。またいくつかのドラマに出演する。演出家久世光彦のドラマの常連俳優だった。
 
            
 
            久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)
 
この頃、俳優も同時進行だったので、私も俳優でもあるという印象が抜けなかったのである。
 
・昭和62年(1987年)、彼の精神的支柱であり、理解者であった澁澤龍彦が死去。翌昭和63年より「天使-澁澤龍彦に捧ぐ」シリーズを制作する。以降、「少女の人形」「目前の愛」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」「木枠でできた少女」などを発表する。
 

澁澤 龍(しぶさわ たつひこ、本名、龍雄(たつお)、1928年5月8日 - 1987年8月5日)
日本の小説家、フランス文学者、評論家。



 
 
 
 
これ以降、人形作家としての活動が主となる。
 
・平成12年(2000年)から平成13年(2001年)にかけて、大分市美術館を皮切りに、全国5カ所の美術館で大規模な個展を開催。
 
・平成16年(2004年)、パリ市立アル・サン・ピエール美術館の「人形 POUPEES」展に4点の人形を出展。同展では、展覧会全体のポスターに四谷シモンの「少女の人形」が採用される。
 
・平成19年(2007年)、森美術館で開催の「六本木クロッシング2007 未来への脈動」展に出展。
 
・平成22年(2010年)、ベルメールの生誕地カトヴィツェ(ポーランド)の芸術団体の招待を受け、同地で球体関節人形「ピグマリオニスム・ナルシシズム」等を展示。
 
そして、現在の活躍につづいている。
 
最近、 四谷シモンの展覧会 SIMONDOLL 四谷シモン の展覧会があった。
 
 SIMONDOLL 四谷シモン
開催期間2014年5月31日(土)〜7月6日(日) 会期中無休
開館時間10:00〜18:00 ※入館は閉館の30分前まで
入館料大人:1,000(800)円
大学・高校生:800(600)円
中学生以下無料
※( )内は前売および20名さま以上の団体料金※消費税含む
会 場そごう美術館
横浜駅東口 そごう横浜店6階
シモン生誕70年を記念して開催される「SIMONDOLL 四谷シモン」展は、初期の作品から最新作まで厳選した46点の作品を6つの章に分けて構成し、シモンドールの世界を探求します。
 
ポスターはこれである。
 
 
 
展覧会は、もう終わってしまったが、そこでの画像を紹介する。
 



 






四谷シモンの公式ホームページは、これである。
                    四谷シモン-人形愛 四谷シモン公式ホームページ 

 


四谷シモン人形館 というのもある。



この度、新たに「少女の人形」など3点の作品が加わりました。 ということだ。

s-DSCF2551.jpg

s-DSCF2553.jpg

これで、四谷シモンの調査報告はおしまい。 ごきげんよう。


 

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