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2014年10月11日土曜日

六甲山ー摩耶山散歩 II


前回のつづきである。 六甲山牧場から30分足らず歩くと、神戸市立自然の家に着く。



Wikipedia によると、

神戸市立自然の家(こうべしりつしぜんのいえ)

兵庫県神戸市の六甲山上にある青少年野外活動のための宿泊施設。神戸市教育委員会により1973年に設置された。前身は1962年に設置された六甲山ユースセンターである。
瀬戸内海国立公園内の自然の森の中にあり、ボーイスカウトや林間学校等に利用されている。 団体での利用が主であるが、家族やグループでの利用にも対応している。

建物は、このように立派である。この日も、子供達が走り回って遊んでいた。

 
 
近隣には穂高湖、六甲山牧場、神戸市立森林植物園などがある。

ということなので、森の小道を通って穂高湖へ行くことにした。 少し遠回りをする訳である。

 

小川の流れるこのような道が、森の小道である。


物の5分ほど歩くと、穂高湖につく。
 


湖の周囲は遊歩道になっている。周遊路を適当に回って、

 

 
石碑のある所にでる。 


 

ここで、元のコースである道路に戻る。神戸市の職員の方が、道路の清掃をしていた。折れ枝とか枯葉が道路に散乱していましたね。 それを横目で見つつ、摩耶山へと向かうのであった。 






15分ほどで摩耶山天上寺に着いた。新しく建造なった、新天上寺です。 昭和60年に金堂の落慶を行なったとある。 実に立派に再建されています。 これが山門。
 


Wikipedia では、こう説明されている。
   
利天上寺
Tori-Tenjyoji01s1920.jpg
本堂(金堂)
所在地兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12
位置北緯34度44分20.39秒
東経135度12分16.93秒
山号佛母摩耶山
宗派高野山真言宗
本尊十一面観世音菩薩、仏母摩耶夫人尊
創建年大化2年(646年)
開基法道仙人、孝徳天皇(勅願)
別称天上寺
札所等新西国三十三箇所 22番
関西花の寺二十五霊場 10番
西国愛染十七霊場 4番
神戸七福神 布袋尊
神戸十三仏 2番
摂津国三十三箇所 4番
摂津国八十八箇所 80番
福原西国三十三箇所 奥の院霊場
神仏霊場巡拝の道 第69番(兵庫第4番)
天皇勅願所の石碑と摩耶夫人堂
天皇勅願所の石碑と摩耶夫人堂
旧天上寺跡
旧天上寺跡
旧天上寺焼失による客足不足により、ケーブル - 史跡公園間にあった遊園地や土産物屋等は廃業に追い込まれた。一部は現在もそのまま残る。
旧天上寺焼失による客足不足により、ケーブル - 史跡公園間にあった遊園地や土産物屋等は廃業に追い込まれた。一部は現在もそのまま残る。








利天上寺(とうりてんじょうじ)

兵庫県神戸市灘区摩耶山町にある仏教寺院。通称「天上寺」。宗派は高野山真言宗。摩耶夫人(釈迦生母)を本尊とする日本唯一の寺である

とある。 少し、面倒だがその縁起を解説する。 

釈迦(紀元前6世紀)が生母摩耶夫人(まやぶにん)に感謝を捧げるために作った十一面観音像を、大化2年(646年)に伝説のインドの高僧法道仙人が日本に持ってきて、摩耶山に寺を開き安置した。
その後、弘法大師空海が唐へ留学中に摩耶夫人像を手に入れ、帰国後、この寺におさめ山上にあった寺を中腹(まやロープウェイ西側)に移した。これが摩耶山利天上寺(とうりてんじょうじ)の縁起とされている。
寺の名は摩耶夫人の昇天の地である利天(インドの山)にちなむ。
厄除け安産祈願の寺として栄えていたが、昭和51年1月に全焼した。
その後、法道仙人開創の地とされる「元摩耶」に再建され昭和60年金堂の落慶を行なった。
沙羅、こぶし、つつじ、紫陽花、山法師、紅葉、山茶花などの花や紅葉が見られる花の寺でもあり、年間5万人の参拝客が訪れている。

境内を拝観しよう。 境内の案内図である。



石碑に 孝徳天皇勅願寺 とある。


これが山門。

軍艦摩耶の碑 である。
 
国会議員が建てた太平洋戦争時の軍艦摩耶(レイテにて潜水艦の攻撃を受け沈没。戦死者470名)の碑。

この 重巡洋艦で、高雄型重巡洋艦の3番艦である。 とある。

竣工当時の重巡洋艦 摩耶

このような石の階段で作られた結構な距離の参道を登りつめると、


ここが、本堂への入り口である。


これが、摩耶夫人堂。
金堂

延命大地蔵尊

鐘楼

金堂の塔上口
金堂の中に入ってお参りをしました。四国八十八か所の仏画の掛け軸が掛けられていた。


枯山水
 
天上寺開基の法道仙人像


金堂の後ろには、七体の地蔵尊


こんな風にお地蔵様がずら~と並んでいます。

 
有名な蕪村の句碑   菜の花や月は東に日は西に


おめでたカエル様である。


われこそは摩耶の
 おめでた蛙なるぞ
   なでてみな
 家内しあわせ
 子ら孫らすこやか
   万万歳なるぞ!
  


とあったので、頭をなでてやりました。

下から見上げて撮った 市民の木 スギ です。 ご神木だと思う。

 


この天上寺は、お寺として色んな顔を持っている。

新西国三十三箇所 22番
関西花の寺二十五霊場 10番
西国愛染明王第4番霊場
神仏霊場兵庫第 4番
神戸七福神 布袋尊
神戸十三仏 2番

摂津国三十三箇所 4番
摂津国八十八箇所 80番
福原西国三十三箇所 奥の院霊場



安産腹帯発祥霊場(こんなのもあるんだね)


という具合である。 

天上寺拝観の後、摩耶ロープウェー山上駅へと歩を進める。 掬星台 の手前にあった、遊び用のリフトです。懐かしい。20年以上前にも、ここに同じタイプのリフトがあった。子供を乗せて、エイヤーと押したものでしたね。  


10分ほどで、掬星台 に着く。 

 
ここは、灘百選の一である。
 


手で星を掬(すく)えるほどの美しい夜景を眺望できることから、その名がついたといわれる。

昼間の景色です。きれいに整備されています。



 
掬星台 から眼下の眺め。


 
夜の眺望はこんな風です。
 

ここには、きらきら小径 という遊歩道もある。まっぷる観光情報による説明。

日中に紫外線を浴びた蓄光石が夜になると光り出す。星座が描かれた天の川を歩きながら眼下の夜景を眺められる。


ここには、摩耶ローププウェーの星の駅がある。
 
 

 

10月11日から運行再開されたが、この日(10月8日)は、まだ運行中止中であった。 
そんな訳で、上野道を取って、摩耶ケーブルの虹の駅まで下ることにした。

 
山道を下る場所にあった、常夜燈である。 夜道を下る旅人には必要であったろう。


そして、山道にあった小さな仏様の祠。 


上野道は、このような急な坂を下る。


しばらく歩くと、尾桐明神社跡にでる。 


この向かい側が 摩耶山史蹟公園になっている。 
旧天上寺跡を公園として緑地化し整備したものです。

向かいが本殿跡。
漱水舎跡

摩耶夫人堂跡

多宝塔跡

護摩堂跡

 
奥の院跡

この公園からの階段は、このように非常に急である。足を踏み外したりしないように、老人は特に気を付けねばばならない。


ここで、虹の駅まであと少しの距離である。 5分くらいであろうか。 


途中このような廃墟が存在する。 摩耶花檀の看板が読める。

旧天上寺焼失による客足不足により、ケーブル - 史跡公園間にあった遊園地や土産物屋等は廃業に追い込まれた。一部は現在もそのまま残る。
 


このような廃墟は、早めに撤去してほしいものである。 神社の鳥居をくぐり抜けると


虹の駅に到達する。こちらは、ロープウエーのほうの駅。 この日は、工事をしていたらしく、大型ヘリが上空で停止して、リフトのようなものを運搬していた。 写真には、撮れなかったのが残念。

こちらが、摩耶ケーブルの虹の駅。 ケーブルの方は、運行している。


この虹の駅からの眺め。


下を眺めると、このような廃墟の屋根が見える。


これは、摩耶観光ホテルである。 この廃墟へは、立ち入り禁止である。 違反すると、警察に通報されるそうだ。

検索してみると、検索先はオフレコにするが、このホテルの画像が得られた。それを修正の上アップする。




という廃墟の風景なのであった。 

虹の駅から摩耶ケーブル駅までは、片道 440円である。子供(12歳未満)は半額である。
この路線は、まやビューラインと呼ばれている。

この車両です。 先頭の席に座らせてもらった。景色は抜群でした。 

 

そして無事に摩耶ケーブル駅着。


ここからは、市バスに乗ってて篠原2丁目で下車し、徒歩で自宅まで帰る。 自宅についたのは、丁度4時であった。 6時間ほどの山歩きでした。 実は、かなり草臥れました。 年であると痛感した。

これで、2回にわたった六甲山ー摩耶山散歩は終わる。 
読んで下さった方も、おつかれさんでした。

 










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