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2015年1月5日月曜日

花咲くジイさん列伝 ダダカン

 


以前福山へ旅行したときの記事に、鞆の浦にある鞆の津ミュージアムについて書いたことがある。
鞆の浦史蹟めぐり 



その後、このミュージアムのワンコイン館長になったので、次回展示会の宣伝をこのブログでしたのであった。
鞆の津ミュージアム 第12回はじめまし展 「まる さんかく しかく」 

さて、鞆の浦を訪問した時の出しものは、 花咲くジイさん であった。 その記事で、

 
 
破天荒な我が道をゆく超経験者、つまりジジイ、の藝術作品の展示である。 
同じ爺さんとしては、実に面白い展覧会であった。
 
と書いていた。 そして、

つぎの機会に、それら老ゲイジュツカについてもう少し詳しい記事を書いてみたい。

と言いながら、放置してある。今回は、その内の老ゲイジュツカについての記事を書きたい。

上の展示会パンプは、二つ折りになっていてその内ページがこれである。

 

順次、老ゲイジュツカを紹介すると、左ページからは、

ドクター・中松

木下将之将軍

長恵

沼博志

軸原一男

堀尾貞治

右ページからは、

蛭子能収

糸井貫二

堀内辰男
 

城田貞夫

大野博司

小川卓一

となっている。

今回は、糸井貫二 通称ダダカンを紹介したい。 ミュージアムに入って何よりびっくりしたのが、館内に設けられていた映写室で、ここではダダカンの裸儀が映写されていた。はっきり言うと、見たくはない高齢爺さんのヌードパフォーマンスであった。 

私は知らなかったが、この方は

生きる伝説・94歳の全裸芸術家ダダカン

として、知る人は知る存在でした。 Wikipediaでの記載はないが、Facebookをしておられる(本人ではないが)。  ダダカン(糸井貫二)

本名:糸井貫二(いとい かんじ) 1920年生まれの現在93歳

 


糸井貫二(いとい かんじ)  1920年生まれの現在94歳

ダダカンと呼ばれた人物である。ダダは、ダダイズムから来ている。本人は、ダダ貫と言ってる。
 
その活動や人となりは、

竹熊 健太郎著 『篦棒(ベラボー)な人々』 河出文庫 

商品の詳細
 
の中で描かれている。
 
 
 まづ、ダダカンの裸儀について書くべきであろう。これである。
 
 
ちゃんと局部は卵のカラと袋カバーで隠してある。何の意味かは、書いてある記事が見当たらないので、分からない。老人のヌード写真はこれ以上アップしたくない。見たい方は、ダダカン 画像 をどうぞ。
 
仙台の自宅「鬼放舎」の前での、彼のまともな写真です。実体は、品の良いお爺さんだそうです。


 

前衛芸術家としての彼の伝説というか奇行を、年代順にあげていく。

1971年の『少年サンデー』で「へんな芸術」というグラビアで特集される
 

1971年の『少年サンデー』で「へんな芸術」というグラビアで特集された「殺すな」 の写真。 


「このダダ・カンと呼ばれる男、人と触れあうには、ハダカが本当だ。と、いつもスッ裸で狂気の行為を続ける裸体行動芸術家の教祖的人物。万博太陽の塔の下をハダカで走ってつかまったり、精神病院に収容されたりしたのでーす」(少年サンデー1971年3月21日号)


肉体そのものが芸術。戦後最初の国民体育大会に体操選手として出場したほどの運動神経の持ち主という。現在は、年齢と粗食のせいもあってガリガリの骸骨状態です。

1964年

「祝・東京オリンピック」のタスキを掛け、顔を白包帯で多い、赤いフンドシを聖火になぞらえて掲げ、銀座を全裸で走り逮捕。そのまま精神病院に1年間強制入院させられる。

これが、その時の赤いフンドシ。

「祝・東京オリンピック」のタスキを掛け、顔を白包帯で多い、赤いフンドシを聖火になぞらえて掲げ、銀座を全裸で走り逮捕。そのまま精神病院に1年間強制入院
 

1969年ごろから、仙台の自宅「鬼放舎」にて独居生活を始める。
これが、 「鬼放舎」。まあ、普通の民家です。
 



1969年ごろから、仙台の自宅「鬼放舎」にて独居生活  

しかし、その家中ではこんな恰好で瞑想というか創作活動を行っていた。 
 
一ヶ月2万弱の年金で食事は一日一食、夏場は庭のタンポポを食べる生活を長年続けている


一ヶ月2万弱の年金で食事は一日一食、夏場は庭のタンポポを食べるなど、極端な粗食生活を長年続けている。ガリガリになるわけですが、生物学的にいうとそれが長寿の原因になっている。実験室のラットでも確認されたことです。

1970年には、大阪万博で 赤軍派のコスプレをした男が太陽の塔に籠城した。 その事件を報じた4月27日の『毎日新聞』を見たその日の午前中、塔への突進を試みた。
 
万博会場を全裸で15メートル走り抜ける。途中で、機動隊に逮捕されたが、そのニュースは海外にまで報道された。

その新聞記事。 裸の男飛出す という見出しがある。

万博会場を全裸で15メートル走り抜ける。途中で、機動隊に逮捕されたが、そのニュースは海外にまで報道された
 
 

1971年ころには、  一万円札を半分燃やして複数の友人に送りつけた。ダダカンにとっては、当時の年収分の額だったそうな。以降40年間年金暮らしで、その他には定期的収入源なしで、芸術生活を送っていた。凄いものです。その当時のダダカン。
 
一万円札を半分燃やして複数の友人に送りつける。ダダカンにとっては、当時の年収分の額だった

彼はハプニング芸術家であるが、お金を半分燃やすなぞなかなか出来んことです。 

半分燃やした札を送られた、水上旬(芸術家)の話によると、
 
ダダカンさんから焼けた五万円を送られたことがあります。封筒の中にお祝い袋があって、その中に半分焼けた一万円札が五枚入っていました。それも、明らかに意図的に焼いたお札なんです。

1980年代からは雑誌などをペニス形に切り抜いて、手紙とともに送る「メールアート」に専念する。
ミュージアムに展示してあったのは、これと同封された手紙でした。達筆です。
 
このような作品です。

1980年代からは雑誌などをペニス形に切り抜いて、手紙とともに送る「メールアート」に専念


 
 
 
幾つか、彼の作品をアップする。
 
 
 

 
 
 
彼の日記というか、創作ノートです。惰眠記とかZAIKIとある。
 
 
 
 
 
 
 現在彼は、このような食卓で一人で食事を作って食べている。ペットボトルは訪問客の持ち込んだお土産であろう。気に入った訪問客には、手作りの卵ケーキをご馳走するそうだ。
 
 
  
 

 
介護にも頼らず一人で生活しているようである。これは、素晴らしいことだ。

ダダカン編は、これでおしまい。

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