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2015年4月28日火曜日

長崎旅行記 III 軍艦島前篇

今年7月に開催されるユネスコ世界遺産委員会

「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」

への登録が審議されるが、その目玉となるのが「軍艦島」である。

人気の観光スポットで、予約しないと行けない。乗船誓約書も必要です。その上天候が悪いと欠航もある。我々は、軍艦島コンシェルジュに2週間前に予約ずみで、幸い天気も良く波も荒くない。万全の態勢である。

しかし、迂闊にも(ワイフが)乗船場所を確認しておらず、てっきり長崎港のターミナルビルとばかり思い込んでいたのだ。窓口で予約されていないと聞いてびっくり。(ワイフが)電話で予約先を確認して、常盤桟橋(赤で示したターミナルから出港すると判明。全く(ワイフが)ドジな話だが、お蔭でベイエリアを周れたし、県美術館にも入れたので、結果的には却って良かったのである。ワイフのお蔭である。



ここでWikipediaからの基礎知識。

端島
Nagasaki Hashima 01.png
端島(南西側、2009年撮影)
座標北緯32度37分40秒 東経129度44分18秒 / 北緯32.62778度 東経129.73833度 / 32.62778; 129.73833座標: 北緯32度37分40秒 東経129度44分18秒 / 北緯32.62778度 東経129.73833度 / 32.62778; 129.73833
面積0.063 km²
海岸線長1.2 km
最高標高47.7 m
所在海域五島灘
所属国・地域日本(長崎県)


端島(はしま)

長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。
明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。
軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。

地理的な説明:

端島は本来は、南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬であった。
その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張した。
その大きさは南北に約480メートル東西に約160メートルで、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われている
面積は約6.3ヘクタール海岸線の全長は約1200メートル
島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走っており、その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設がある。

これから写真説明していきますが、実に面白かったですね。現在は不可能ですが、廃墟の中を歩いて周りたいと痛切に思いました。

我々の利用した、軍艦島コンシェルジュは1日2便で、料金はつぎのようになっている。幸いなことに平日料金で、大人3600円+入場料300円=3900円 でした。高くはない。それだけの価値はある。外国人観光客も2割ほどいました。


料金
お得な平日料金
個人(15名様未満)
大人3,600円 中高生2,900円 小学生1,700円 小学生未満800円
団体(15名様以上)
大人3,300円 中高生2,600円 小学生1,500円 小学生未満700円
土日祝祭日、春・夏・冬休み
個人(15名様未満)
大人3,900円 中高生3,100円 小学生1,900円 小学生未満1,000円
団体(15名様以上)
大人3,500円 中高生2,800円 小学生1,700円 小学生未満900円
※上記は税込み価格となります。
※当日はお電話にてお問い合わせください。
軍艦島入場料金(長崎市)
【1名~14名】大人:300円/小人:150円
【15名以上】大人:240円/小人:120円
※中学生以上は大人料金

 
我々の乗った船、マーキュリー号。
 

船から、対岸の四海楼を写した。 長崎旅行記 I

出港前に。ビデオで軍艦島の歴史などについてレクチャーを受ける。

 
 
 

 
 午後1時40分に出港。端島に着くまでの景色を写した。

奥に見えるのが稲佐山山頂。

 
三菱重工業長崎造船所の古いクレーン。
 
 
三菱重工の社屋。
 
ドックで建造中のタンカーや客船。
 
 
 
奥に見える古いクレーンが、産業遺産の一つであるそうだ。
 
 
 
この橋が、長崎港の港口にかかる女神大橋である。
 
 
その真下から、橋を見上げる。
 
 
全長1289m。水面から非常に高く建設されている。前回写した、豪華客船などが容易に通過できるようにするためだね。高さ170mとあるから、半端ではない高さである。宙に浮いているという感じがする。
 
 
行路の風景。
 
 
 
名の知れぬ無人島。
 
岸壁の上に大きな白いマリア像が立っている。その背後に見える白亜の建物が、神ノ島教会である。
 
そのマリア様のお姿。
 


三菱重工業長崎造船所香焼工場デッキ。 
 
 
向こうに見えるのが、伊王島のリゾート施設。「長崎温泉やすらぎ伊王島」である。
 
 
伊王港の様子。帆船が停泊してますね。
 
 
馬込教会である。調べてみると、1931(昭和6)年竣工であり、工事は地元伊王島船津の大工棟梁大和和吉が施工し、松岡孫四郎神父が指導したと伝えられている。煉瓦造教会堂としては最初期のもの。次回解説の予定だが、昭和の初期に日本人大工により造られた教会が多いのです。
 
 
伊王大橋  
対岸の長崎市香焼町とを結ぶ、2012年3月27日に開通した新しい橋。長さ876mで、やはりかなり橋高がある。
 
でも高さ25mだから、大型の客船は通れない。ビルみたいな豪華客船はダメですね。
 

この島でも採炭されていたそうである。この地域一帯が石炭の採掘場であったわけだ。


端島(軍艦島)が見えてきた。正しく、軍艦のような姿である。天気は良いのだが、黄砂かpm2.5かの影響で空は少し霞んでいる。


手前にある中之島。この島では、端島で出た死者の葬儀などを行っていたそうだ。


晴れていると軍艦島(以下端島と呼ぶ)は、このように見える。



端島に近づいていく様子を連続的に写真に撮ってみた。
 



 


先客の観光船がやってきて、
 岸壁に接岸し、
 

乗客を降ろしてから、出岸する。その様子を海上で待機しながら見守ったのである。
 


我々の船は、岸に近づき


この近場から島を一周したのち上陸するのである。

島の船上からの写真をアップする前に、端島の建造物についての説明を行う。
島の上空写真はこれである。(2008年撮影)

 
反対方向からの航空写真。(2009年撮影)


埋め立ては、このように6期に渡ってなされ、



端島(軍艦島)の埋立の歴史
建造

多くの建造物が残っている。

鉱員社宅職員社宅薄紫、その他をとしている。上陸して見学できる場所はの部分で、島全体から見ればごく一部である。




建物群の詳細なデータ:

建物名建設年代構造・階数建物用途住居戸数・増築歴・内部の公共施設・倒壊の有無
01号棟1936年
(昭和11年)
RC+木造1F端島神社拝殿は木造(全壊)、本殿と境内はRC造(現存)
02号棟1950年
(昭和25年)
RC造3F職員社宅/009戸
03号棟1959年
(昭和34年)
RC造4F職員社宅/020戸。幹部用。内風呂あり(集合住宅では3号棟のみ)
05号棟1950年
(昭和25年)
木造2F鉱長社宅/001戸。内風呂あり。ほぼ全壊
06号棟1936年
(昭和11年)
木造2F職員単身寮全壊
07号棟1953年
(昭和28年)
木造2F職員クラブハウスほぼ全壊
08号棟1919年
(大正8年)
RC+木造3F職員社宅/004戸。1階に共同浴場
12号棟1925年以前
(大正14年)
木造+鉄筋3F職員社宅/003戸。半壊
13号棟1967年
(昭和42年)
RC造4F町営住宅
(教職員用)
/012戸
14号棟1941年
(昭和16年)
RC造5F職員社宅
(中央住宅)
/015戸
16号棟1918年
(大正7年)
RC造9F鉱員社宅
(日給社宅)
/066戸。1階に外勤詰所
17号棟1918年
(大正7年)
RC造9F鉱員社宅
(日給社宅)
/054戸。屋上に簡易遊園地
18号棟1918年
(大正7年)
RC造9F鉱員社宅
(日給社宅)
/050戸。屋上に農園
19号棟1918年
(大正7年)
RC造9F鉱員社宅
(日給社宅)
/045戸。屋上に弓道場
20号棟1918年
(大正7年)
RC造7F鉱員社宅
(日給社宅)
/026戸
21号棟1954年
(昭和29年)
RC造5F鉱員社宅/015戸。1階に警察派出所
22号棟1953年
(昭和28年)
RC造5Fカモメ荘
(町営住宅・公務員用)
/012戸。1階に老人クラブ。2階に町役場端島支所
23号棟1921年
(大正10年)
木造2F寺院(泉福寺)/006戸。1階は社宅、2階が泉福寺。ほぼ全壊
25号棟1931年
(昭和6年)
RC造5F職員社宅/006戸。2階に宿泊所。スナック「白水苑」・旅館「清風荘」も
26号棟1966年
(昭和41年)
プレハブ2F下請作業員飯場
(旧船頭小屋)
/008戸。全壊
30号棟1916年
(大正5年)
RC造7F下請飯場
(旧鉱員社宅)
/140戸。竣工時は4階建て(その後まもなく7階建てに増築)。日本最古のRC造アパート
31号棟1957年
(昭和32年)
RC造6F鉱員社宅/051戸。1階に端島郵便局、地下に共同浴場。2階部分をボタ捨てベルトコンベアが貫通
39号棟1964年
(昭和39年)
RC造3F町立端島公民館
48号棟1955年
(昭和30年)
RC造5F鉱員社宅/020戸。地下にパチンコ屋・雀荘など
50号棟1927年
(昭和2年)
鉄骨レンガ造2F映画館
(昭和館)
閉山までの数年間は卓球場。1991年の台風によりほぼ全壊
51号棟1961年
(昭和36年)
RC造8F鉱員社宅/040戸。地階に個人商店
56号棟1939年
(昭和14年)
RC造3F職員社宅/006戸
57号棟1939年
(昭和14年)
RC造4F鉱員社宅/008戸。地下にピロティ商店
59号棟1953年
(昭和28年)
RC造5F鉱員社宅/017戸。昭和40年代、屋上にプレハブ1階分を増築。地下に生協の購買所(60号棟地下と連結)
60号棟1953年
(昭和28年)
RC造5F鉱員社宅/017戸。昭和40年代、屋上にプレハブ1階分を増築。地下に生協の購買所(59号棟地下と連結)
61号棟1953年
(昭和28年)
RC造5F鉱員社宅/017戸。昭和40年代、屋上にプレハブ1階分を増築。地下に共同浴場
65号棟1945年
(昭和20年)
RC造9F鉱員社宅/317戸。竣工時は北側の棟のみ、7F建て(1947年から1958年にかけて増築)。屋上に幼稚園。端島で最大のアパート
66号棟1940年
(昭和15年)
RC造4F鉱員合宿
(啓明寮)
67号棟1950年
(昭和25年)
RC造4F鉱員合宿
(単身寮)
/048戸
68号棟1958年
(昭和33年)
RC造2F高島鉱業所端島病院(隔離病棟)
69号棟1958年
(昭和33年)
RC造4F高島鉱業所端島病院
70号棟1958年
(昭和33年)
RC造7F町立端島小中学校1961年に7階部分を増築(鉄骨)
71号棟1970年
(昭和45年)
RC造2F町立端島小中学校体育館1階が武道場・給食室、2階が体育館
ちどり荘1958年以降
(昭和33年)
木造2F教員用住宅/006戸。RC造2Fとする資料も
 
 
船上からの写真。
 
中央に見えるのが、端島神社の祠。
神殿や拝殿もあったそうだが、倒壊して現在は残っていない。

右に見えるのが、10階建ての65号棟で鉱員社宅になっている。屋上は幼稚園になっていた。


左が端島小中学校で、右が端島病院


山頂にある職員住宅。上級職員用。

左から、端島小中学校65号棟端島病院
 


島の中央部を望む。 現代のパルテノン神殿ですな。

行きかう軍艦島観光船。


船で言えば後尾の部分。


 
 ここから、船は周りこんで船首の部分に向かう。

 
 

 
潮降り街の鉱員住宅群。




木造部分は、ほぼ完全に崩れ落ちている。

中央に白くみえるのが、新しく建てた灯台。共同浴場や郵便局のあった31号棟。


 
左に見えるのが、30号棟で下請社宅
 船首部分。

軍艦島の全貌。


 
 その拡大写真。
 


 


 
 かくして一周し終えて、ドルフィン桟橋へと向かうのであった。


 

ドルフィン桟橋の画像(コンシェルジュ提供)
 
船は、接岸に成功。

 
今回は、記事が長くなりすぎた。ここで、一休みする。その後の上陸記は、次回 IV 軍艦島後篇 で。

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