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2015年8月25日火曜日

石垣・西表島旅行記 I 伊丹空港、那覇空港、新石垣空港

先週の火曜日から恒例のお盆旅行にでかけた。2泊3日の旅行で、行先は西表島であった。計画を組んだのは無論ワイフで、私と二人の息子はそれに乗っかかっただけである。
西表のリゾートで2日間ゆっくりするという計画であったが、何事も思うようには進まないのである。当日、沖縄行の飛行機が欠航になってしまったのだ。

順を追って、写真旅行記を始める。

伊丹空港10時10分発のJAL2081便に乗る予定で、早朝自宅を出発して阪急線を利用して三宮駅に、7時25分に着。

駅前には、神戸観光のための電動自転車 Kobelin が配置されている。最近始めたサービスである。1日利用で500円。そのうち利用したいと思っている。  コベリン


その奥にあるのが、空港バスの駐車場。関西空港行と、伊丹空港行がある。息子達とは、ここで合流する。


我々は、伊丹空港行のバスに乗り込み約40分で伊丹空港着。

空港ビルの通路。コンビニとかモスバーガーの店舗が並んでいる。


9時前なので、時間的には余裕があると思っていた。お盆の帰省客で一杯なので、早めにチェックインを済まそうと思っていると、アナウンスがあった。飛行機の整備作業のため大幅に遅延する可能性があり、チェックイン作業を中断するとの事。


多少遅れても大した事はないと高を括り、飛行機写真を撮りに4階にある展望デッキ「ラ・ソーラ」に登ったのである。 空港の風景については、  長崎旅行記 I 長崎港ベイエリア  を参照。

ラ・ソーラ」から写した飛行機写真。JALの飛行機だが、機種はボーイング777-300と思われるが不確かである。 


ANAの飛行機写真だが、結局変更でこちらの全日空の便に乗ることになってしまった。




ラ・ソーラ」の様子。4月の時に比べると、木々の緑は増したようである。


 
飛行機写真を撮ってから、チェックインカウンターに戻ると、なんとこの表示である。


整備は終わらず欠航になってしまい、カウンターで次の便の交渉。全てワイフがやってくれたので、私としてはただ待つのみ。彼女はケータイ片手に、旅行社とのホテル交渉もしていたのだ。私ならば、その事後処理で発狂している所である。
ワイフは落ち着いていて、次の便を決め、あまつさえ遅延お詫びの空港内食事券2000円、4人分で計8000円をゲットしたのだ。空港で、高価なお弁当を6つ程買って食べました。美味しかったのだが、その写真を撮るのを忘れた。小心者の私には、そんな余裕はなかったのだ。

この日のうちに、西表島に到着するのは不可能。それで、石垣島のホテルに変更する。旅行社の手配により、Fusaki Resort Village  beach & garden に決まる。ヤレヤレである。

飛行機のほうは、約4時間待ちでANA767便14時10分発に乗ることになった。


ここから約2時間10分のフライトで那覇空港着。


以前家族で沖縄旅行をした時、この空港を利用したはずだが何も憶えてはいない。10年位前と思うが、殆どが忘却の彼方である。それで、那覇空港の概要をあらためて勉強するのだ。

那覇空港
Naha Airport
Naha Airport13s3s4410.jpg
Naha Airport07n4272.jpg
IATA:OKA-ICAO:ROAH
OKA/ROAHの位置(日本内)
OKA/ROAH
OKA/ROAH
那覇空港の位置
概要
国・地域日本の旗 日本
所在地沖縄県那覇市字鏡水
種類その他
運営者国土交通大臣
運用時間24時間
標高4 m (13.1 ft)
座標北緯26度12分20秒 東経127度39分03秒 /
 北緯26.20556度 東経127.65083度 / 26.20556; 127.65083座標: 北緯26度12分20秒 東経127度39分03秒 / 
北緯26.20556度 東経127.65083度 / 26.20556; 127.65083
滑走路
方向ILS長さ×幅 (m)表面
18/36I3,000×45舗装



那覇空港(なはくうこう、Naha Airport

沖縄県那覇市にある空港施設である。利用者数は日本国内の空港では東京国際空港(羽田空港)、成田国際空港、新千歳空港、福岡空港、関西国際空港に次いで第6位(2013年度、うち国内線旅客数では第4位)の沖縄地域のハブ空港であり、国内幹線空港の一つでもある。

空港を含む施設は太平洋戦争後のアメリカ軍占領下を経て那覇飛行場(Naha Airfield) となり、返還後は航空自衛隊の飛行場や民間空港として利用され、航空自衛隊那覇基地(JASDF Naha Air Base) 管理下の施設では、各官公庁の航空諸施設が併設されている。基地の総面積は約212万m²(64万坪)である。

国内でも有数の空港である。確かに大きな空港ですね。国際線も入っている。
 
その全貌写真
 
 
 
次の石垣空港行は18時50分発のJTA625便で、まだ2時間30分もある。充分に時間がある。それで、飛行機や空港内の景色を撮ることができたのだ。

まづ、各航空会社の飛行機の写真。

 済州島行の飛行機 チェジュ航空

 
機種は、ボーイング737
 
 

アシアナ航空 プサン行の飛行機

 
香港航空 機種は未確認。以下機種は省略。
 

全日空の飛行機と爺さん。那覇空港までは来たという証拠写真。



全日空のスターアライアンス機。



日本航空のラッピング飛行機。 ジンベイザメのピンクバージョン。 ラッピング飛行機



こちらが、ブルーバージョン。


その雄姿。



日本航空のクラシカルタイプ(ラッピングなし)飛行機。



日本トランスオーシャン航空  我々が乗る予定の飛行機。


ジェットスター航空  (カンタス航空が、格安航空会社のヴァージン・オーストラリアに対抗するために設立した完全子会社の航空会社。)
 



滑走路風景


那覇空港は南国の空港だけあって、飾られている花は蘭ばかりです。

 
 



そして、空港内の様子。 
 
 

 
 空港内売店で購入した、1袋100円の沖縄名産の駄菓子。


かくして、定時になり日本トランスオーシャン航空の18時50分発JTA625便に乗り込む。
幸い窓際の席が取れたので、機内から航空写真を撮ったのであった。


 


 
 あかね色に染まりだした雲海を飛ぶ。


 
 動物が立ち上がったような形の雲の変化を見てください。



 
 厳かなる景色でした。

そして、7時50分頃に新石垣空港着。予想以上に立派な空港です。


ここで、Wikipediaによる新石垣空港のお勉強。初めての空港です。


新石垣空港
New Ishigaki Airport
新石垣空港国内線ターミナル
IATA:ISG-ICAO:ROIG
ISG/ROIGの位置(日本内)
ISG/ROIG
ISG/ROIG
新石垣空港の位置
概要
国・地域日本の旗 日本
所在地沖縄県石垣市字白保
1960-104-1
種類公共
運営者沖縄県
運用時間8:00 - 21:00(JST)
座標北緯24度23分47秒 東経124度14分42秒 /
北緯24.39639度 東経124.24500度 / 24.39639; 124.24500座標: 北緯24度23分47秒 東経124度14分42秒 /
 北緯24.39639度 東経124.24500度 / 24.39639; 124.24500
滑走路
方向ILS長さ×幅 (m)表面
04/22YES2,000×45舗装


新石垣空港(しんいしがきくうこう)、

沖縄県石垣市(石垣島東部)にある地方管理空港である。2006年10月着工、2013年3月7日に開港した。愛称は「南ぬ島 石垣空港」(ぱいぬしま いしがきくうこう)。

できてからまだ2年しか経たない新空港ですね。通りで新しいし立派なはずでした。
 

新石垣空港(空撮)

Wikiには、新しく空港の建設された経緯が書かれてある。すったもんだの末に出来たことが良く分かる。自然保護と観光事業の板挟みだね。

その概略を纏めてみる。

旧石垣空港は第二次世界大戦中に造られた海軍飛行場を基にしていたが、滑走路の長さは1,500 mと短く、年々大型化する旅客機の発着に耐えられなくなった。小型の旅客機が暫定的に就航していたが、滑走路の長さが不十分なため、それらの機体は旅客数、貨物、燃料の搭載量を制限されていた。
そのため、石垣発の東京/羽田・大阪/関西線直行便であっても燃料補給のために宮古や那覇を経由する運航を余儀なくされ、那覇などで乗り換えた場合と比べても所要時間があまり変わらないという状態が続いていた。

扱える旅客数・貨物数が少ないため、島の産業・観光に支障をきたすこと、長距離便が離着陸できず、東京・大阪など大都市からの直行便が増便しにくいこと、空港の周りの市街地化が進み、騒音で学校の運営などに影響が出るようになったことから、島内の別の場所にボーイング737〜767-200・エアバスA300クラスの小・中型機も離着陸できる、2,000 m級の滑走路を有する新空港建設の機運が高まった。

巨額の工費を必要とし環境破壊も懸念される新空港建設の代わりに、旧空港の滑走路延長を求める声もあったが、旧空港の周囲や滑走路の先にはフルスト原遺跡や市街地があり、滑走路の延長は困難であった。

白保海上案と反対運動



白保のサンゴ礁

1979年、沖縄県は石垣島東部の海岸に面する白保集落の沖合に2,500 mの滑走路を備えた新空港を建設する計画を発表した。白保集落の住民には事前の話はなく、空港建設はサンゴ礁(リーフ)内側の海(礁池)での漁業を長年続けていた住民には死活問題だった。

しかし、島内では新空港建設支持の意見が多く、島全体の漁協もこれを支持し、集落住民以外に反対運動が広がらず計画は着々と進行した。1983年までに測量や漁協に対する漁業補償などが進み、あとは公有水面の埋め立て免許が下りれば着工する段階になっていた。

1983年、集落住民や自然保護団体、研究者などの支援者が「八重山・白保の海を守る会」を結成し、東京での国会議員や官庁に対する陳情、マスコミへの取材依頼、空港反対の署名運動などを始めた。この運動により、沖縄のサンゴ礁が農業や公共工事による赤土流出で消失しつつあるなかで白保のサンゴ礁は数少ない良好な生態系を残したサンゴ礁である事が知られるようになった。

さらに守る会による一坪地主運動が行われる中、環境庁(現・環境省)は沖縄県に計画変更を要請、滑走路は2,000 mに短縮されたが同じ場所を埋め立てる方針は変わらなかった。反対運動側は1988年に国際自然保護連合総会で危機を訴える手段に出た。国際的な自然保護団体の調査や圧力が強まる中、1989年に白保埋め立て案は撤回された。


計画地変更と迷走


カラ岳

その後も計画は二転三転し、白保海上案の代わりにカラ岳という島東部、白保北部の山の海側に空港を作る案(カラ岳東側案)が発表されたが、これも白保と連続したサンゴ礁の海域を埋め立てる案であり、反対の声はなおも続いた。

1990年に大田昌秀沖縄県知事は複数の立地案を住民や専門家に示し、1992年に白保から離れた島内陸部の農業地帯である宮良牧中に建設する案が選定された。これも優良農地を失い騒音に晒される地元農民の反対で計画が進まず頓挫した。

計画地の決定

1998年、稲嶺惠一が沖縄県知事となり、再度複数の立地案の中から候補地を決めることとなった。2000年3月には専門家の集まる位置選定委員会により、カラ岳東側案、宮良牧中案などの候補地の中からカラ岳陸上案が選定された。

この案は白保集落の北部に空港を建設し、海上埋立てを伴わない案である。県は赤土流出を防ぐため、滑走路予定地の土砂(赤土)流出を防ぐ措置や海への泥の流出を食い止める遊水池などを建設し、建設予定地の動植物の移動なども行い、生態系への打撃を防ぐこととした。

という経緯があって、2006年10月に建設が着工され、2013年3月に開港された。環境破壊があっても、島民4万人は観光事業で生活を支えていかねばならぬのである。
 

新石垣空港見学台(2012年10月1日に閉鎖、その後撤去)
 
見学台から見た新石垣空港工事現場(2009年9月 撮影)

石垣島のような有名な観光地であっても、こういう状況が厳然と存在する。私は、何も知りませんでした。無責任な島外人でしかない。お恥かしい限りです。

空港到着ゲートにあった円型水槽。

そこでは、コバルトスズメダイやミノカサゴが泳いでいました。

空港の外は真っ暗。

そして空港でタクシーをつかまえ、宿泊先のFusaki Resort Village  beach & garden に向かうのであった。 石垣・西表旅行記 II につづく。

 

 

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