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2015年9月30日水曜日

高砂 十輪寺

今回は、たかさご万灯祭とその後の取材で訪問した十輪寺の紹介を行いたい。お寺自体は、県指定の文化財である。

これが山門である。中々立派である。市の指定文化財になっている。


山門を横手から写した写真。二重屋根や額、仁王像が威厳を与えている。


山門前の石碑仁王像浄土宗二十五霊場である。

 


ピンボケで済まぬが、左右の仁王像

 
 

もう一つの山門。
 
 

ここで、Wikipediaにより、十輪寺の基礎知識を取得する。

十輪寺
Takasago Jyurinji Temple.JPG
所在地兵庫県高砂市高砂町横町1074
位置北緯34度44分50.3秒
東経134度47分59.0秒
座標: 北緯34度44分50.3秒 東経134度47分59.0秒
山号宝瓶山
宗派浄土宗西山禅林寺派
本尊阿弥陀如来
創建年弘仁6年(815年)
開基空海、中興 法然(開山)
正式名宝瓶山十輪寺
札所等法然上人二十五霊跡 第三番
十輪寺(じゅうりんじ)

兵庫県高砂市にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は宝瓶山。本尊は阿弥陀如来法然上人二十五霊跡第三番

御詠歌

生まれては まづおもひ出ん 古里に ちぎりし友の 深き誠を

歴史:

寺伝によれば、この寺はもともと唐より帰朝した空海によって、815年(弘仁6年)「地蔵十輪経」に基づき、勅を奉じて、鎮護国家の祈祷書として、地蔵山十輪寺と号した真言宗の寺院であったが、1207年(建永2年)法然が地元の漁師に説法したことから、法然の弟子の信寂房が、法然を中興開山に迎えて、再興して西山派の流れをくむ浄土宗の寺院になったという。

十輪寺法然上人、四国流罪の際

大永7年(1527年)大坂境の僧十万が讃岐の生福寺に詣で、法然自画自賛の「宝瓶の御影」を得て当寺に寄贈、以来宝瓶山と山号を改める。江戸時代初期には京都所司代を務めた板倉勝重の帰依を得、寺領を寄進されている。

昔から宗旨替えなどとよく言うが、その具体例だったわけである。真言宗→浄土宗

このお寺は、広い境内をもつ立派な寺院です。

それでは写真紹介を始める。

本堂



詳しい説明は省略するが、お寺は県指定文化財で、空海の創設と伝えられており、建物は17世紀初頭の風格をもつものとされている。



本堂の額



本堂を横手から写したもの。



手水舎  水は蛇口から調達する。現代的というか、趣に欠ける。


焼香堂 水子の霊をお祀りするお堂と思われる。


鐘つき堂

高砂市の保存樹木である黒松


地蔵堂

御影堂


大玄関と小玄関
 


  
 
 庫裡






真民さんの石  念ずれば 花ひらく
 


砥部の坂村真民   


地蔵尊


観音様

空海上人像

 
 高麗仏と呼ばれる宝篋印塔


これは1592年に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際、徴発された高砂の水主100人のうち96人が死亡し、その供養のために建てられたものである。

写真ばかりであんまり面白くなかったが、これで紹介はおわる。
 

 

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