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2016年12月21日水曜日

タイ国リアル旅行記 XXI

今回はアユタヤ遺跡の訪問日誌。歴史の勉強もかねての見学記である。

まづアユタヤの地図である。



この地図でみればわかるように、アユタヤは周囲を川に囲まれた島(中州)である。東西約4㎞、南北約3㎞の広さを持つ。

赤丸アユタヤ遺跡群である。

このアユタヤ遺跡群は、チャオプラヤー川とその支流であるパーサック川ロップリー川に囲まれた中州に集中している。これは、敵からの防御を考えて中心部の回りに運河を掘ったことによるものである。


我々は、これらの遺跡群の中から

1.ワット・プラ・マハタート

2.ワット・プラ・シーサンペット

3.ワット・ロカスタヤ


の3ヵ所を見学した。


上記三ケ所の写真案内の前に、架空旅行記でも引用したが、タイ国政府観光庁によるアユタヤについての記事を再録する。  タイ国架空旅行記 V アユタヤ 

アユタヤ


1351年ウートン王によって建都されてから、1767年ビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市です。

ウートン王=ラーマーティボーディー1世国王



チャオプラヤー川とその支流に囲まれた地形は水運に恵まれ、17世紀はじめにはヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。

現在のチャオプラヤー川  首都バンコクに注ぎ込む川である。



苔むした仏塔チェディ、大草原に悠然と横たわる涅槃像、素晴らしい建築美を誇る歴代王の離宮、かつて栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の街アユタヤ




現代にその当時の姿をつたえる荘厳な遺跡群は歴史公園として整備され、1991年にユネスコ世界遺産にも登録されました。


アユタヤの遺跡群世界遺産なのである。 Wikipedia による解説。

世界遺産古都アユタヤ
(タイ王国)
ワット・チャイワッタナーラーム
ワット・チャイワッタナーラーム
英名Historic City of Ayutthaya
仏名Ville historique d'Ayutthaya
登録区分文化遺産
登録基準(3)
登録年1991年
備考タイ政府およびユネスコは遺産の具体的物件を明記していない。
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
アユタヤ歴史公園の位置

1967年、アユタヤの遺跡を含む地域が正式にタイ芸術局により歴史公園に指定された。
後の1991年には芸術局によるユネスコへの推薦があり、世界遺産(文化遺産)に登録された。



前記事と一部重なるがWikiの解説をつづける。


この遺跡を作ったのは1351年 - 1767年に存在したアユタヤ王朝である。

ただし王統は一つではなく、隣国の征服や重臣の簒奪で、5つの王家にわかれる。

王朝の興亡についてはこのページを見てください。 アユタヤ王朝


この王朝はナーラーイ王時代には現在のラオスカンボジアミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。


ナーラーイ・マハーエーカートッサロット・ラート王
สมเด็จพระนารายณ์มหาราช
ラーマティボーディー3世
French depiction of King Narai.jpg
ナーラーイ
在位1656年10月26日 - 1688年7月11日
全名ナーラーイ・マハーエーカートッサロット・ラート王
別名 
王朝 
家系プラーサートトーン家

中心都市であるアユタヤは、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。この貿易に適した地で、王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、この莫大な利益を元に数々の寺院(ワット)を作り出した。

地の利を生かした国際貿易でガッポと儲けて、歴代の王はその金で沢山の寺院を建造したわけです。

アユタヤ王朝でも王家を中心として、独占的な貿易が行われた。主に中国への米の輸出で国力を付けたほか、日本琉球などの東アジア国家、東南アジア島嶼部、アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えた。

すでに15世紀には日本人の姿が見られたが16世紀後半から17世紀にかけて、国王の庇護のもとその勢力が大きくなった 。そのころアユタヤ日本人町も形成された。山田長政の活躍する時代です。

この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花した。

しかし、西のビルマは地域の覇権を競い、16世紀ごろから執拗にアユタヤへの攻撃を繰り返しており、アユタヤはこれに常に悩まされることになる。

そして、1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した。同時にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり、王宮も台座を残すのみとなった。

400年もつづいたアユタユ王朝ビルマによって遂に滅ぼされた。それも壊滅的にである。何度にもわたる泰緬戦争(たいめんせんそう)の結果である。 泰緬戦争 (1765年-1767年)

世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみになっているのは、このためである。
レンガ造りの遺跡を見ると相当古いみたいだがそうではなく、古くても1300年代の建造物である。

遺跡

ワット・プラシーサンペット

ワット・マハータート

ワット・マハータートにある仏頭


前書きが長かったが写真による観光を始める。


1) ワット・マハタート


標識には、1374年三代王 ボロムラーチャ一世とPHRA MAHA THERA THAMMA KALAYAN (仏僧らしい)が建てたと記されている。




ガイドブックにはこの説と二代王ラームスワンの建立説の2つがあると書かれている。

かってのワット・マハタートの建築模型  
高さ44mの仏塔があったといわれている。これもビルマ軍により破壊された。


寺院への入り口

寺院内の遺跡を見て行こう。様々なスタイルの仏塔が残されている。

仏塔  四角形スタイル


仏塔  紡錘形スタイル


遺跡には多くの破壊された仏塔が並んでいる。



三連の仏塔


比較的完全な形で残っている仏塔


修復された仏像  こちらは完全なお姿です。


その周りには首を切り落とされた仏像が並んでいる。


胴体と足しか残っていない仏像もある。


かの有名な菩提樹の根に取り込まれてしまった仏頭


その横顔

 仏頭のクローズアップ  身動きできずに恨めしそうな表情をしている。


仏頭と爺さんとのツーショット

菩提樹の全体はこうなっている。


堂内に残る仏像  これも後に安置されたもの。


本堂跡だと思われる。




正面部分


とんがり頭の仏塔  セイロン様式なのでしょう。

壁面の意匠  


首も腕も無くなった仏像


五体満足な仏様

その正面からのお姿


とんがり屋根の仏塔 一部漆喰により修復されている。


以下くたびれたので解説なしで遺跡の写真を見ていく。






 遺跡だらけでしたね。

ワット・プラ・マハタートの出口での飲み物屋と待機するトゥクトゥク(エンジン付き三輪車)。三輪タクシーですね。



出口から眺めるワット・プラ・マハタート




2) ワット・プラ・シーサンペット
 アユタヤ王宮跡の南側にあるバンコクのワットプラオケに相当する王室守護寺院。1949年に建立され、1500年には高さ16m、総重量171kgの黄金に覆われた仏像が建設されたが、ビルマ軍により跡形もなく破壊されてしまった。
地球の歩き方には書いてあった。

寺院の外壁



 現在残っているのはアユタヤ中期セイロン様式で建てられた3基の仏塔だけである。
地球の歩き方には書いてある。

この三連の仏塔である。



 三塔の夕映え写真


塔の入り口には傾斜の急な階段が付けられている。


正面から見た階段


別の塔の階段上で和服を着た日本人を発見。


 寺院跡 柱と壁の一部がこのような形で残っている。 歩きくたびれたお姉さんが回廊で休んでいます。

上部の破壊された仏塔


地球の歩き方に掲載されているのと全く同じアングルの写真。偶々です。



その夕映え写真


1基を異なるアングルから写した。





以下寺院内の遺跡を説明なし(できずに)に見て行こう。





そういえばノラワンコが何匹も徘徊していました。観光客が餌をあげるのでしょう、遺跡の案内をしてくれる(場合がある)。



ほかにも写真を撮ったが多すぎるのでここで打ち止め。

ワット・プラ・シーサンペットの見学を終えて、バスでワット・ロカスタヤへ向かう。ほんの5,6分の距離でした。

その途中象祭に出場すると思しき象がいた。



3) ワット・ロカスタヤ

ワット・ロカヤスタは広大な草原の中にある仏教寺院の廃墟で、後期アユタヤ王朝の中期には建設されていたといわれている。建設当時は、他の仏教施設もあったとされる。



寺院の全貌



しかし、1767年のビルマ軍の侵攻によってことごとく破壊されてしまいました。現在残っているのは、涅槃仏の像のみです。80歳で入滅した仏陀を表している。

この涅槃仏は、北方を向いて寝るような姿をしており、全長57.7m高さ8mもある巨大なものです。レンガで原型を造り、漆喰で固めてある。1956年に復元された。

以上ガイドブックからの受け売り。

涅槃仏の後ろ姿 バスの車中より。


涅槃仏の足元 バスの車中より。

涅槃仏の全身像  ガイドブックの写真には黄色の衣が掛けられていた。暑いのでこの日は衣を脱がれていた。


涅槃仏のお顔


涅槃仏の胴体


涅槃仏の下半身


 涅槃仏のおみ足


 涅槃仏の斜め横向き姿


 涅槃仏の正面祭壇よりのお姿


足元の向こうに仏塔が見える。

祭壇のお線香

祭壇のミニチュア涅槃仏



これでアユタヤ遺跡の観光はおしまい。長くて長くて写真をアップするだけで疲れた~。






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