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2017年4月21日金曜日

エジプト旅行記 XXXIII


少し間隔があいたが、エジプト旅行記を再開する。

朝7時ホテルの玄関に集合して、ホテルを出発する。旅行最終日の予定は、屈折ピラミッド赤のピラミッドメンフィスの野外博物館階段ピラミッドマスタバ墳などの観光であった。盛り沢山でかなりハードなスケジュールでした。

今回は、ギザからサッカーラ街道ダハシュールへと向かう車窓からの風景写真と屈折ピラミッド赤のピラミッドの紹介編である。

 残念なことに、この日も霧が出ていて鮮明な写真は撮れなかったが、エジプトらしい風景ではあった。

早朝 道路脇で馬車とその御者が佇んでいる。

塀の向こう側はゴルフ場だそうである。夜明けの風景。


建設中のビル  しかし3階部分には既に人が住居している。日本ではあまりお目にかからない風景である。


塀のペインティング  文字はアラビア語だがどこの国でも似たようなストリートペイントである。ゴミが通路に散らばっているのは嫌ですね。


霧の中 朝焼けの風景



道端で果物商が店を開いている。 オレンジ、バナナ、グレープフルーツ、リンゴなど。お年寄りはやはり民族衣装を着ていますね。


左端に教会の尖塔が見える。中央の建物は工場らしく、その前にトラックが止められている。


道路脇に植えられている棗ヤシの木。その奥には畑が広がっている。


棗ヤシの畑

モロヘイヤ畑

この地点よりダフシュールに向かう。道路脇の植木の形がトルコ帽みたいで面白いですね。


ダフシュールには2つのピラミッドがある。屈折ピラミッド赤のピラミッドである。

車窓からその双方が見える。

左端に薄ぼんやりと浮かび上がる屈折ピラミッド


かなりの規模をもつ赤ピラミッド。 バスの中からでも入り口が見えている。


まづ屈折ピラミッドの見学である。 

途中で角度が変化して屈折したピラミッドである。クフ王の父スネフェル王が建設したとされる。 画像は逆光なのでいささか見づらいが許容の範囲内である。





ここで屈折ピラミッドの解説をWikipedia から引用する。

屈折ピラミッド


屈折ピラミッド

屈折ピラミッド(Bent Pyramid)

エジプトのダハシュールにある古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもあるスネフェル王のピラミッドである。
三大ピラミッドなどと共にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。

高さ105m、底辺189mであるが、特徴的なのは屈折ピラミッドの名のとおり途中で傾斜角度が変わっていて、下部は54度27分、上部は43度22分となっている。
下側は崩れるのを防ぐために石は内側に向けて斜めに積まれている。上側は平積みにしている。この理由については、
  • 同時期に同じ工法で建築されていた「崩れピラミッド」が完成直後に崩壊し、下側で使用した工法でこのまま建設を続けると、同じように崩壊する可能性が指摘され、途中から工法を変更した。
  • 建造中に王が病気になったので、完成を急ぐため高さの目標を下げた。
  • これが完成形であり、下エジプトと上エジプトの合一を象徴している。
などの説がある。


現在では2番目と3番目の説は放棄されている。

このピラミッドでは、表面を覆っている化粧岩がきれいに残っていて、下層表面は滑らかになっている。




観光客は我々のグループだけでした。屈折ピラミッド独占という訳です。

屈折ピラミッド前でピースサインの爺さん。


定番のピラミッドポーズ  添乗員さんと我がファミリーの面々。



屈折している斜面  こちらの下層は多くの化粧板が剥ぎ取られていてガタガタになっている。


その下層部分の石積みの様子。


石垣の下方は石が抜き取られている。頑丈なアラバスター石が使われており、再利用されたそうである。崩れるのを防ぐため一部鉄筋で支えられている。



化粧板が残っている下層の斜面。 レンガ組みのような形ではめ込まれている。 下方から眺めた写真である。


少し横に移動すると、斜面では化粧板はこのように剥がれたり、削れたり風化したりしている。


写真右部分にあるように、削り取られた部分はかなり大きい。 左側には入り口が見えている。



屈折ピラミッドの内部の構造  

入り口の a 地点から狭い地下通路を通って b の下部玄室にいたる。そこから上部の通路で別の入り口 c’ からの通路と交差してそこを曲がって上部玄室 c に至る。 下図を参照してください。 



屈折ピラミッドからバスで5分程走って、隣にある赤のピラミッドに着く。使われた石が赤っぽいのでこの名で呼ばれている。このピラミッドも同じくスネフェル王が建設したものとされる。


この地点からは屈折ピラミッドはこのように霞んで見える。



ピラミッドの前に何故かこのように石が並べられている。 特に意味は無いんでしょうね。


ここで赤のピラミッドの解説をやはりWikipediaにお願いする。Wikiでは赤いピラミッドとなっている。

赤いピラミッド


赤いピラミッド

赤いピラミッド(あかいピラミッド)

エジプトのダハシュールにある古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもあるスネフェル王が建設したピラミッドである。三大ピラミッドなどとともにメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。
スネフェル王が先に建設した屈折ピラミッドの約1キロメートル北方に建てられ、初めて直線のラインを持ち、壁面が二等辺三角形になっている方錐形の真正ピラミッドである。高さはクフ王のピラミッドカフラー王のピラミッドに次いで3番目に高い。
高さ104.4メートル、底辺218.5×221.5メートル、傾斜角度は43度19分。名前のとおり表面の花崗岩が赤く見えることから名づけられた。最初から赤かったのではなく、建設当初は白い石灰石に覆われていた。しかし、その大部分が持ち去られ、現在は基礎部分にその一部が残るのみである。

歴史上では、初めての方錐形のピラミッドである。建設当時は白いピラミッドでした。

このピラミッドは、スネフェル王が建築した中で最後に当たる5番目のもので、4番目に建設した屈折ピラミッドのすぐ脇に建設されている。工事はスネフェル王の治世30年に始まり、ピラミッドの落書きより建設に10年7か月を要したと考えられる。


構造


赤いピラミッド平面図


高さ約104メートルあり、エジプトのピラミッドとしては3番目に高い。傾斜は43度19分と非常に緩く、底辺220メートルもある。エジプトにある同規模のピラミッドと比べると、潰れたような外観になっている。この傾斜は屈折ピラミッドの上層部分と同じ角度である。また現在の外観を構成している岩は、三大ピラミッドで使われているものよりも小さい。




北壁の地面より28メートルのところに入口があり、中に入ることができる。奥の部屋に至る通路と、その途中に3つの部屋のような空間が存在する。内部に装飾は一切なく、巨大な岩を組んで作成されている。内部に埋葬跡らしきものは見つかっていない。

入り口付近

内部の見学もできるようだが、我々のツアーではそこまでは予定されていない。真近まで行ってその様子を見学するのみである。実際の所それで充分です。

赤のピラミッドの頭頂部分   組み上げている石は大ピラミッドの石より小ぶりである。

底辺部は風のためか、砂がかなりの厚さで覆われている。


赤いピラミッドに向かって我々ツアーの探検隊は歩を進めていくのであった。


底辺部から頂上を見上げた写真  岩石はかなり風化して表面が削られている。





この赤いピラミッドの真下からは、屈折ピラミッドはこのように遥か霞んで見える。右側に写っているのが我々の乗ってきた観光バス。 


二人の息子が崩れた瓦礫の多いピラミッドの斜面を上っていく。


その後岩石の積まれた所まで来て、彼らは万歳三唱をしていたがその画像は省略する。

私もまたその手前までは到達した。実は斜面を登ろうとして滑り落ちて膝の下を怪我した。擦り傷であったが、その傷は現在も残っている。


今回はこれでおしまい。


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