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2017年9月7日木曜日

神戸北区 塩田八幡宮

今回は神鉄道場訪問の目的である塩田八幡宮の案内である。参道のつづく大鳥居前にでる。時刻は6時半を過ぎているので池田市の伊居太神社につづいて夜の神社参拝になってしまった。私のような爺さんは構わないが、よい子はこんな真似をしてはいけない。天狗にさらわれてしまう。 池田市 伊居太神社

石の大鳥居  



鳥居社額  これも石でできていて 塩田八幡宮 と楷書で刻されている。



大鳥居の足元にある社碑 


常夜燈 対ではなく大小があり形が異なっている。


田圃を突っ切るように砂利の参道がつづく。鉄パイプの門柱は例祭の時に使われる提灯を掛けるためのものである。

例祭夜の参道


参道の両脇には石灯籠がズラリとならんでいる。その一基毎に寄進者の名前が彫られている。例えばこの石灯籠にはごらんの方の名前が彫られている。

境内入り口に立つ渡し鳥居  しめ縄は掛っていない。

社碑ではなく掲示板  京都国学院の学生募集のポスターが張ってある。宮司さんの出身大学かもしれない。


境内に入ってすぐ右手横に鎮座する末社厳島神社


厳島神社 (通称 月見神社) 社殿は竹製の玉垣に囲まれた堀の中央にある。


市杵島姫命をお祀りしている。こじんまりしているが綺麗に整えられている境内社である。社殿前には、必須アイテムの常夜燈社碑賽銭箱が置かれている。狛犬はないがこれは弁天様にはそぐわない。生田神社と同じく堀は弁天池なのかもしれぬ。
神戸中央区 生田神社 


常夜燈 対の二基がある。


忠魂碑  その両脇には砲弾型の石碑が二基ある。戦没者慰霊碑である。


その奥に真新しい社殿が立っている。


末社社殿かと思ったがそうではなく永代墓のようである。

永代墓 みささぎ 

社務所横にある朱の鳥居  約150段の石段を上ると拝殿に達する。


鳥居常夜燈

ピンボケだがその最初の石段

石段途中から眺めた社務所


その先に二の鳥居がある。手ぶれでボケてしまった。


帰り道にはフラッシュを焚いて社額を写した。これは鮮明に写った。額束には八幡宮とある。 



さらに石段は続くがその参道横には末社が幾つも設置されている。日が暮れたので撮影は無理かと思えたが、末社社殿にも電灯がついた。それで撮影可能になったのであった。

末社水神社



ご祭神は 水速女命(みずはやめのみこと)

社殿


石清水祠


ご祭神は 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)


末社劔御前社


ご祭神は 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) ブル―ライトが照射されていた。


末社稲荷神社



ご祭神は 保食神(うけもちのかみ)


末社高良神社


ご祭神は 高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)

石段を上りきると拝殿前にでる。


由緒舎

手水舎

石段上に拝殿が見える。有難いことに照明がついている。



夜燈

石段横 狛犬二基


拝殿  朱塗りの立派な社屋である。銅板葺屋根で、本殿は神戸市指定文化財に選ばれている。


拝殿前の鈴



本殿は屋根部分しか撮影出来なかった。 暗くて良く見えないね。再度訪問する必要がありそうだ。



これほど由緒ある大きな神社にも拘わらずWikipediaの単独記載はない。八幡宮の一括りの中にあるのみである。幸い神社のホームページがあるので、それを基にして基礎データを記載する。 北摂道場 塩田八幡宮

ご祭神:

 応神天皇(おうじんてんのう) 
 神功皇后(じんぐうこうごう)

何度もアップしているので画像は省略。

 玉依姫命(たまよりひめのみこと)

 玉依姫命座像 川村雅則 作

            御歳神(みとしのかみ) 五穀豊穣の神。


由緒:


当社の創始は不詳ではあるが、大同年間(810頃)には「大歳神社」と称し御歳神を奉祀すると古記録に見える。
その後山城国石清水八幡宮より 応神天皇神功皇后玉依姫命の御神霊を勧請合祀され、 石清水八幡宮別宮 塩田八幡神社と称せられた。

石清水八幡宮

略記

・攝津国塩田庄なるこの地は、74代鳥羽天皇(1103~56)の院政期に后妃の庄園ともなる。

・保元3年(1158)に石清水八幡宮并に宿院極楽寺 領庄園となり、神宮寺としての体裁を成した。

・延元元年(1336)には摂津国守護職赤松範資より社領寄進を得たが、応仁の乱(1467~77)により社殿その他の建造物を焼失する。

・明応8年(1499)に社殿を再興し、享禄元年(1528)には再度石清水八幡宮より御宝体を拝受奉斎し得た。

・徳川幕府下、明暦3年(1657)社殿再建時には三田藩主九鬼隆昌より浄財寄進があり、九鬼家当主代々よりの奉納寄進が続いた。

・維新回転の際は、神仏分離令(1868)により神宮寺が廃され、明治5年(1872)には村社に列し 大正4年(1915)10月神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。

・大正11年(1922)11月郷社に昇格。 

・昭和38年(1963)社名を「塩田八幡宮」と改称して現在に至る。


暗いが境内を見て回ろう。

ご神木のヒノキとヤマモモ。


二木が根元で結合しており、樹齢500年以上とされる。

社殿の右側に祖霊殿がある。


社殿に繋がっておりやはり朱塗りの社屋である。


拝殿横に案内板が置かれていた。出入口は遅い時間だったので閉鎖されていた。


祖霊殿の横には幾つもの末社が並んでいる。

末社神明神社

ご祭神は 天照大御神 (あまてらすおおみかみ)


末社武内神社

ご祭神は 武内宿禰 (たけのうちのすくね)

末社若宮八幡神社

ご祭神は 仁徳天皇 (にんとくてんのう)


末社山ノ神社

ご祭神は 大山祇命(おおやまつみのみこと)

拝殿左側にも手水舎があった。



日はとっぷりと暮れてしまった。参道入り口へと下る石段の先は真っ暗である。


砂利のひかれた参道まで戻ってきた。


これで夜の参拝はおわった。

神電道場駅まで戻る道すがら 夜の風景。

天空の月

ほんの僅か残る残照


人も車も通らぬ道路を歩く。


有馬川に架かる月見橋の欄干


川面の景色 何も見えませんな。


真っ暗なので道に迷いそうになったが、何とか記憶を頼りにして神鉄道場駅前まで戻ってきた。時刻は7時半であった。1時間程で急ぎの参拝をしおえたことになる。見落とした処が幾つもありそうで不満が残っている。また機会をあれば改めて訪問してみたい。


駅舎の階段を上り、

エレベーターを降りると片側のみのプラットに出る。乗客は私以外誰もいない。

三田方面

電光の駅表示板

新開地方面

時刻表通りに電車はやってきた。電車に乗り込むとそれなりの乗客がいた。


そして、北神急行神戸市営地下鉄阪急と乗り継いで自宅へと戻ったのであった。これでおしまい。

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