カテゴリー(作成中)

2015年10月31日土曜日

桜井 山の辺の道 月山記念館

奈良山の辺の道 桜井編の4回目。大美和の杜をぬけて、山の辺の道に入って暫く歩いた所に月山記念館がある。今回は、その記念館の紹介。本日は息子の店の皿洗いに行くため時間がなく、手短に記事にする。手抜き記事だね。

Wikipediaでは、記念館でなく刀鍛冶月山の記述がある。

月山(がっさん)

日本刀の刀工の一派。 鎌倉期から室町にかけて活躍した刀工とその一派。出羽国月山を拠点とした。その中で幕末に大坂に移住した系統が、現代まで残っており奈良県を拠点として活動している。

伝承によれば、出羽国月山の霊場に住んだ鬼王丸(鬼神太夫とも呼ばれる)を元祖とする。以来月山のふもとでは刀鍛冶が栄え、軍勝、寛安、近則、久利 などの名人を輩出した。鎌倉期から室町期にかけて、月山の銘を刻んだ刀剣は実用性の高さと綾杉肌の美しさの両面から全国に広まり、この刀工集団を「月山鍛冶」、その作品を「月山物」と呼んだ。しかし戦国時代が終わり、江戸期に入るとそれはいったん途絶えた。そのため江戸初期以前の作品を便宜上「古月山」と呼ぶことがある。幕末、一門の弥八郎貞吉は大坂に移住。以来、月山家は、関西を拠点として作刀活動を行う。

近代の歴史については、このように書かれている。

月山貞勝(1869年-1943年)や孫の月山貞一(二代貞一、1907年-1995年、昭和46年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定)と、初代貞一の後も名人を輩出する。当代は、二代貞一の三男月山貞利(1946年生、奈良県無形文化財、前全日本刀匠会会長)。その長男貞伸(1979年生)も2006年より本格的な作刀活動に入る。

桜井市のホームページでは、このように記載されている。

三輪山の麓、谷あいを流れる狭井川のほとりに位置し、日本刀の鍛錬場もあり月山一門の刀剣が展示されている。

それでは、写真紹介を始める。

記念館の入り口に置かれていた歌碑。

狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 
木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす           

伊須気余理比売  歌碑番号は、50番目。


お庭にあった、二対の鯱


月山記念館の看板パネル 日本刀鍛錬道場も併設されている。 嬉しいことに入場無料です。 


先ほどの伊須気余理比売の歌を、人間国宝であった月山貞一が揮毫した書の石碑。 


入り口。 看板には、月山日本刀鍛錬道場記念館 とある。



中にはいると、向かって右側が月山日本刀鍛錬道場になっている。


ここには、このように刀鍛冶に用いられる道具類が展示されている。


鍛冶場

道場の前が、枯山水の神聖なるお庭になっている。奥に見える方が月山貞利氏と思えるが定かではない。

右手が、月山記念館になっている。月山貞利氏の作品や、刀製作のビデオが放映されている。そのご長男の貞伸氏らしき方が、たまたま留守番をしておられた。惧れ多いので、見学のお礼だけを申し上げた。

 
月山日本刀鍛錬道場 ~(Gassan Japanese sword master)
 
 
裏側のお庭の佇まい。
 
 
今回はこれでおしまい。

2015年10月30日金曜日

ウオズラコレクション

昔から魚好きで食べるのは勿論、水族館に行くのも大好きである。関連記事も結構書いている。

京都大学白浜水族館見学  串本海中公園見学  エビとカニ水族館  紀伊半島山越え一周旅行 2014.7.5-6 I  須磨海浜水族園 I 過去の旅 伊勢志摩旅行 2010年3月  秋吉台と門司、下関の旅行記 VII

魚料理のグルメ記事やその他にも魚について書いていると思うが、一寸思い出せない。ブログで何を書いたのかも最近は忘却の彼方である。関心があるのは、今書いている記事だけである。過去を振り返らずに生きていると言えばカッコ良いが、単に健忘症が進んだだけであろう。

昨日自分の書いた論文を見ていて、その内容をすっかり忘れていたのを知ってショックを受けた。前にもそんな経験はあったが、証明をわすれていただけで、内容までではない。エライ事になってきたと思う。論文自体は自分が忘れる位なので、他人が覚えている訳がなく、早晩そんなものは消えてしまうのであろう。別にかまわんが、全ての努力も結果もいずれは忘れ去られ消えてしまう。なんだか悲しいものがあるね。

話が全然 関係のない方向に走ってしまった。今回は、保育社から出している生きもの摩訶ふしぎ図鑑シリーズの一冊である

ウオヅラコレクション  伊藤 勝敏 著  四六サイズ/カラー176ページ
定価: 1,944円(税込)   価格: 1,944円(本体 1,800円、税 144円)
 
がとても面白かったので紹介したいというのが目的である。 先日図書館に行って、図鑑を眺めていて見つけた一冊です。
 
ウオヅラコレクション
【著者プロフィール】
伊藤勝敏…大阪生まれ。業界誌の出版社に勤務時代、海藻の写真を撮るため丹後半島の海に潜ったところ、その生物の多彩な姿と幻想的な海中世界に魅せられ、海中写真に取り組む。これも一つの生き方と思い、撮影を続けその姿を『どっこい生きてる、ゴミの中-たくましい海の魚たち-』(2010年/保育社刊)にまとめた。
 

伊藤勝敏さんのホームページには、素敵な海の生物の写真が沢山あります。是非ご覧になってください。  海中カメラマン伊藤勝敏ホームページ

ここでは、著書 ウオヅラコレクションから幾つかの特徴的なお顔(ウオズラ)を紹介したい。魚ってつくづく見るとこんな異様な顔をしているのだと感じた次第である。

本書では、お顔を幾つかのユニークな系に分類している。

本書で紹介する”ウオヅラ”たち

本書で紹介する”ウオヅラ”たち
本書で紹介する”ウオヅラ”たち

そのウオズラのキャプションが傑作である。

おばちゃん系  厚化粧 トガリエビス


若いころは、化粧は薄くとも美しいが、年齢を重ねると化粧は濃くなりそれに反して美しくもなくなっていくのである。その変遷を私はワイフを通して如実に理解しているのである。

おばちゃん系  なに見てんのよ! オハグロベラ



大きな口を開けて、誰かにこんな目で睨まれると何にも言えません。

おやじ系  タイガースファン! ムスジコショウダイ





これです。また甲子園球場に応援しに行ってみたい。



おやじ系  ゆかたのオヤジ ユカタハタ
 
 
口の中にエビを飼っているんだね。
 
オヤジじゃないけど、ベネディクト・カンバーバッチの涼しげな浴衣姿。
 
 
 
 

ちょいワル系  大ボス登場 コブダイ
 

見れば見るほど凶悪な面構えをしていますね。大ボスの風格がある。
 
魚のヤクザ社会では、この方のようですね。God Father
 
 

ちょいワル系  顔で判断しないでください シロワニ
 
 


性格は、至って大人しいそうです。人を襲うことなどないとの事だが、この面構えでは信じがたい。
因幡の白兎のサメは、こいつでなかったろうか?と思ったが、そうではない。神話では、単なるサメのことである。種類を特定している訳ではない。単純に言うと、ホホジロザメのような姿かたちをしたサメ一般をワニザメと呼ぶようです。今でも中国地方ではサメのことをワニと呼んでいる。
その呼び方から、シロワニという名前をもつサメであるということでした。

そう言えば、007の悪役でサメ男がでていました。




ちょいワル系  感情がすぐ顔にでるタイプ ネズミフグ





感情をすぐ表に出す奴は、大物になれません。針を逆立てて怒っても大して恐そうでない。ワルではありませんね。誰かに似ているなあ~。あれ、私かな。


ぼんやり系  飲み過ぎではありません アカエソ



見事に顔が赤く染まっています。でもまだら酔いです。こんな時は事故に遭わぬようくれぐれも注意しましょう。




その他、沢山のウオズラ写真が満載です。ウオズラを見るだけでも楽しい。お魚好きの方には、特に推薦いたします。

これでおしまい。

桜井 久延彦神社と大美和の杜

奈良山の辺の道 桜井編の3回目である。今回は、久延彦神社大美和の杜の紹介。久延彦神社は、前回紹介した狭井神社の隣にあるが、その周辺が大美和の杜となっている。一緒に写真紹介したい。

久延彦神社であるが、この神社は大神神社末社になる。Wikipediaの記事は、大神神社の記事に含まれていて、つぎのように素っ気ない。
  • 久延彦社 - 祭神:久延毘古命。合格祈願の神社
ご祭神の久延毘古命(くえびこのみこと)らしき画像は見つからない。しかし、こんな案山子の画像ならばある。


Wikipediaの解説によるとこう書かれている。

大国主の国づくりの説話において登場する。『古事記』によると大国主の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。そこでヒキガエルの多邇具久が「この世界のことなら何でも知っている久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので久延毘古を呼ぼうとするが、久延毘古は歩くことが出来ないという。大国主らが久延毘古の元へ行くと、それは山田のそほど(かかしの古名)であった。久延毘古に訊くと、「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と答えた。
久延毘古かかしを神格化したものであり、田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。

ということで、やまだのな~かの一本足の案山子の神でした。いつものセリフだが、知りませんでした。

桜井市のホームページでも同様に、

受験・進学・就職等の成就をお守り下さる「知恵の神様」。「願掛け絵馬」が数多く見られる。

とあって、所在は大神神社の境内の内と記されている。そうなのであった。狭井神社もこの久延彦社境内社なのであった。大神神社の境内は、如何に広いかがわかる。

このような方向指示板があるので、それに沿って山道を上る。


そうするとすぐに見晴らしの良い展望台にでる。ここら辺一帯が大美和の杜である。眼下に広がる大和平野を一望できるパノラマで知られている。奈良県景観遺産に指定されている。確かに見晴らしはよいのだが、生憎曇りがちで余りクリアーには見えない。それでも、大神神社大鳥居は、はっきりと見える。大和三山が見えるとのことだが、どれがどれだかわからない。




展望台には、このように椅子が設けられているので一休みするも良し。


展望台は細長い形になっていて、


背景になっている神体山である三輪山を、この場所から望むことができる。木が一寸邪魔になっているね。


しばらく山道を上ると久延彦神社に到着。
 

 
崖の上に建設されたという感じの神社です。拝殿社務所
 

神社前の境内は、狭いのだが展望台のようになっていて、やはり大和平野を見渡せる。



このような石段を登って神社を参拝することもできる。


 
その石段の参道前に立つ鳥居。
 


参道途中にある鳥居。

この神社は、智慧の神様を祀っているゆえ、合格祈願などの絵馬が鈴なりに掛けられている。


また境内には、神山遥拝所があり、その社が設けられている。三輪山ははっきり見えませんでした。

お詣りを終えてから、山道を下りながら大美和の杜を散策する。


その途中には、このような竹林の道もある。


そして、山の辺の道へと歩を進めるのであった。


今回はこれでおしまい。

2015年10月29日木曜日

桜井 狭井神社

桜井編の2回目の神社紹介である。今回は狭井神社大神神社の摂社なので、前回紹介すればよかったが、相当な規模を持つ美しい神社なので、途中にある同じく摂社である磐座神社と共に紹介したい。

大神神社祈祷殿のある広い境内から狭井神社につながるくすり道がある。


くすり道の入り口にある縄鳥居


このような石段のついた山道を登っていくわけである。


その途中にある、大神神社摂社である磐座神社。 ご祭神は、少彦名神。



鳥居

 

 
 神様の鎮まる石を祀り神としている。何故か色違いの卵が四隅に供えられていた。

 


しばらく歩くと、すぐに狭井神社にでる。Wikipediaによる記述は、大神神社の記述内に収められている。

狭井神社
  • 祭神大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)
この神の画像は見当たらない。その配祠神として、つぎの神も祀っている。

大物主神(おおものぬしのかみ)
媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
  • 式内社「狭井坐大神荒魂神社五座」。病気平癒の神社。御神体である三輪山への登拝口が境内にある。但し、三輪山は御神体であり山そのものが神域であるため、軽率な気持ちで入山することは出来ない。
桜井市のホームページより:

狭井神社は狭井川の畔にある大神神社の摂社で、正式な名前は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」という。本社の荒魂をお祭しており、延喜式神名帳に記されている古社。古より「華鎮社」と称された。


狭井神社鳥居

狭井神社石碑

境内を見て廻ろう。

鎮女池の前にある鳥居。これは、市杵島姫神社の鳥居。やはり大神神社の摂社と思える。現在本殿修繕工事中である。



手水舎

皇后陛下がこの狭井での鎮花祭を歌っておられる。昭和50年の歌会始にお詠みになられた御歌である。

三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めすと 祭りてあらむ

 
 狭井神社は、鎮花祭(はなしずめまつり)が行われる神社として昔から有名であり、「花鎮社」ともいう。鎮花祭りは、俗に「くすりまつり」ともいい、毎年4月18日に大神神社とこの狭井神社で執り行われる重要な祭りで、その起源は崇神天皇のとき、全国に疫病が流行したが大田田根子を召して祭神の大物主神を祭ったところ疫病が止んだことにあるという。


 
三島由紀夫記念碑   清明 と刻まれている。彼が三輪山を訪れた際に揮毫した書を基にしている。


その詳しい説明パネル。拡大すれば読めます。

 拝殿
 


神社の説明板

工事中の市杵島姫神社の祠が仮設でこちらの拝殿に安置されている。


 拝殿の左後ろに、この神社の由来になっているご神水井戸・狭井がある。ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれていて、この薬水を飲めばいろいろな病気が治るという。



このように立派な社が造られている。御神水は、押しボタンで汲み取れるようになっている。とても近代的である。私も薬水として謹んで飲ませて戴いた。喉が渇いていたこともあり、とても美味でした。



拝殿の奥の様子。

ここから三輪山にのぼることができるが、許可が必要になる。

つぎの様な記述がある。 狭井神社

三輪山の標高は467.1mである。その山頂に高宮神社があり、信仰者の登頂を認めている。登拝口は拝殿の右側にある。社務所に願い出て、住所・氏名・入山時間・性別を記入し、登拝口で祓いをすませれば、木綿襷を肩にかけて誰でも登頂できる。ただし、往復とも指定された一本道だけを通ること、禁則地域には絶対立ち入らないことなど厳しい制約が課せられる。途中に急な坂道もあり、普通の人なら頂上まで1時間はかかるとのことである。なお、登頂は有料である。

 
 今回はこれでおしまい。